週刊RO通信

組織化された無責任体制!

NO.1591

 E.P.トムソンの邦訳『新しい左翼』(岩波書店)が出版されたのは1963年。編集者は吉野源三郎氏である。同氏は、『君たちはどう生きるか』の著者であり、行動する哲学者であり、時代の先端を切り取る存在であった。わたしが同書を購入したのは、たぶん20歳だったから1965年である。

 イギリスの若い気鋭の学者たちの論文が集められている。購入したものの結構難しく、少し読んでは本棚の片隅に置くような始末だった。きちんと通読したのは、だいぶ後で、内容の充実さに気づいたのが遅かった。もう一つは原題が『Out Of Apathy』だ、という気づきで、わたしにとっては、邦題よりも強い刺激があった。

 組合活動を始めたのは勤め人になって2年目だが、振り返れば、わたしの活動の問題意識は、いつも「無関心」にどう迫るかであった。青年部活動で、他組合の青年たちと交流するときも、行きつく先は組合員が無関心だということである。しかも、「なんとかせにゃいかんな」という合言葉! でその場が終わるのであって、なんともだらしない話であった。

 吉野さんが邦題を『新しい左翼』としたのは、イギリスの若い学者たちがそう呼ばれていたことや、国内でも左翼が幅を利かせていたからではないかと想像する。わたしは、左翼が新しいか古いかには格別関心がなく、いかにして無関心を克服するかにあった。このタイトルならもっと気合を入れて読んでいたのではないか。まあ、これは後付けの不勉強の弁解であるが。

 アパシー(Apathy)は、組合活動だけではない、もっと広い概念で政治的無関心を意味する。組合活動にせよ、政治にせよ、社会にせよ、それに対して無関心が支配しているのを安直に見過ごしてはいけない。

 人々が社会に対して無関心だとすればずいぶん暮らしにくい。50年ほど前までは、たとえば電車などの乗り降り、車内マナーなどが、現在とは問題にならないくらい厄介だった。いまはずいぶん平穏である。わたしの住んでいる区は犬を飼っている人が非常に多い。そういえば、道端に犬の糞が転がっているなんてことがない。小さなことではあるが、これらは誰もが社会と自分をきちんと理解しているからであって、大事なことだとつくづく思う。

 民主主義的理解では、社会を作っているのは個人である。だから、「世の中は困ったもんだ。」と、背中を向けるのはよろしくない。自分が世の中そのものなんだから、不都合があれば改善しなければならない。これは理屈だ。

 敗戦後、日本人の社会に関する問題意識の薄さが、外国人の目に強く映った。いわく、社会的福祉の意識が弱いという。封建時代から明治維新、敗戦までの間、日本人は上下関係によって抑圧され、社会的(横)の紐帯が健康に育っていなかった。横の紐帯といえば、いまも、相互監視みたいな意識が強いのは、長い歴史的産物が執拗に根を張っているのではなかろうか。

 政治的無関心の原因は大きくわけて2つある。1つは大きな社会に対する自分の無力感であり、もう1つはただ乗り(free rider)意識である。厳密にいえば、ただ乗り意識は無力感の分岐と言えなくもない。政治的無関心において人々は、公共的不都合に対しては私的に問題解決をする。がまんするか、他になにか対象を見つけて不都合を押し付ける。

 政治的無関心が支配する社会は住みにくい。さらに事態が悪化すると、社会の解体方向へ走り出す。組合活動は、働く人々が共通する問題を解決するべく組織を作って運動を起こすのだが、無関心が支配すれば組織は存在しても形骸化するし、運動を構築できない。

 働く人々に不満や要求がないわけがない。しかし、声が出ない。それは、働く人々が不信の沈黙を守っているからだ。不信の沈黙は、組織があっても形骸化していることを意味している。にもかかわらず、組織機関の人々がアパシーを放置するならば、組合は組織化された無責任体制に他ならない。

 こんなことを考えて、わたしはいつもヒリヒリした気持ちを抱えていた。だから、現場を歩いていて、「おい、御用組合!」などと声をかけられるものなら、大喜びして、「なんですか? 御用組合員さん」と応じたものである。いまは、どうだろうか? 声が出ない大衆組織は単なる管理機構に過ぎない。「無関心の克服」は、いまも大きなテーマではないのだろうか。