筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
昨日、自民党では最高顧問麻生氏と副総裁菅氏が会談したそうで、これで石破総裁・総理誕生の産湯がおしまい。大親分同氏の手打ちが終わったといえば、いかにも品がないので。
朝日新聞は、内閣の副大臣・政務官が大半再任されたので、居抜きだと見出しをつけた。居抜きとは、住宅・店舗を家具・商品・設備つきで売ったり貸したりすることだ。ハッハッハ、副大臣・政務官は家具か設備らしい。
しかし、それでいくと官僚組織は戦前から! 一貫して居抜きなんである。民主主義以前と民主主義以後と180度転換したはずだが、政治から戦前保守色が拭い去れないのは、やはり、居抜きのせいなんだろう。
旧民主党が政権獲得したとき、政治は政治家主導でなくちゃいかん。官僚体制に切り込むと、威勢がよかったが、いかにも拙速かつ乱暴すぎて、あえなく返り討ちにあった。居抜きをなめたらいけない。
人事というものは、笑いたくなることが多い。立民は、顧問に最高と常任の2つができて、それぞれ2名ずつ、まさにcommon senseと、ダジャレが出る。大は大なりに、小は小なりに、まったく人事は難しい。いざ、出陣の前に全員集合、挙党一致の儀が大騒動である。
自民党の裏金問題が尾を引く。党内では手締め、安倍派事務局長に有罪判決で一件落着としたいのだが、野党のみならずメディアもうるさい。なぜなのか? しつこいという見方もあるから、簡単に整理しておく。
犯罪的行為は証拠を押さえて立件し、裁判にかける。ところで、自民党の裏金の場合、職員の事務局長が私利目的で起こした「犯罪」ではない。政治家が着想して、派閥職員は事務を執っただけである。
そうすると、事務局長を裁いただけでは、ルール違反をした政治家の処分が終わっていない。ところが、議会は警察・検察とは異なって犯罪を突き止めるのが仕事ではない。政治家が決着すべきは、政治家としての倫理道徳である。
ところが、事実追及の限界があるのに便乗して、当該政治家諸君が事態解明に協力しないばかりか、なんとか逃げおおせることばかりやった。それが、世間には丸見えだから、人々の怒りが収まらない。メディアはそれを代弁している。
政治の世界で決着させるべきは、政治家の倫理道徳であるから、野党としては、それを決着させないのであれば、自分たちも一蓮托生と見られてしまう。だから、自民党内のように手打ちには至らない。
自民党は内輪の組織的手続きをこなすことによって、解決ずみにしたいのだが、世間の常識に外れているから、組織的にごまかそうとしていると思われる。
野党もただ裏金を騒いでいるだけではいけない。事態から遁走するべく発足した石破内閣の出鼻をくじかねばならない。ところが、もっかの野党の事情は、例によって「共倒れ」路線を走っている。
昔、土井たか子ブームで、社会党が大きく伸びたことがあった。当時は、社公民連携していたが、社会党の一人勝ちでは損だとして、公明・民社が離脱した。まさに敵は本能寺にありをやった。
今回の総選挙は、バラバラ野党の状態にあるが、野党間のベクトルが一致できるかどうか。それができなくて、自民の遁走を助けることになったら、野党連携を妨害した野党は責任を問われざるを得ない。
野党を統一する人事案件はない。野党が問われているのは、自党を超えて、野党魂を発揮できる政党・政治家であるか否か。他党のせいにせず、お互い志を立てて連携するべきだ。
野党という束ねのみで束ねるべきだ。
