週刊RO通信

既存政治の惰性を破らねば

NO.1579

 立憲民主党代表選挙(9月7日告示・23日投開票)が始まった。立候補者は4人。自民党総裁選挙は12日告示・27日投開票である。予想される立候補者は11人である。代表・総裁立候補者総勢15人である。当面の首相は自民党が握るが、立憲民主党は政権交代を唱えているので、15人が日本の首相候補ということになる。

 立憲民主党では、昔の名前で出ていますという言葉で、代わり映えしないという指摘があった。自民党もまた代わり映えするわけではない。よほど入れ込んでいなければ、だれが見ても、キラキラした首相候補はいない。キラキラでなくても強い存在感があれば目立つが、それもない。個性によって政治に対する人々の関心が左右されるとすれば、期待はできない。

 11月におこなわれるアメリカ大統領選挙の刺激は強い。役者がちがうというべきか。トランプ的個性は強烈だが、手放しで共鳴する人は少ない。しかし、伝統ある共和党が乗っ取られ、共和党・民主党がっぷり四つに組む。

 バイデン氏が高齢を理由に選挙戦後半に至って候補者を辞退した時点で、もはや選挙戦は終わったような観測だったが、存在感が薄いと見られていたハリス氏の立ち上がりが著しく鮮明で、人気急上昇。絶望感に浸っていた民主党支持者が息を吹き返し、さらにマイノリティの人々を吸引して、僅差ではあるがハリス氏が優勢に選挙戦を進めている。

 8月、ハリス氏への献金が3億ドル集まった。献金者300万人、うち初めての献金者が130万人、女性が60%だという。トランプ陣営の2倍である。まさに爆発的に人々の関心を惹きつけている。ハリス氏は、ガラスの天井などの修飾語を語らず、司法畑を歩んだキャリアを押し出している。トランプ氏を犯罪人として揶揄対置する作戦であるが、それ以上に、仕事師だという印象を強く感じさせている。

 選挙戦はお互いに言いたい放題、あけすけ発言の応酬が続く。わたしなど、どうしても映画『OK牧場の決闘』が懐かしくよみがえる。ピストルの代わりが口撃である。立ち回りが面白いのは当然だ。

 ここに日本的ジャーナリズムの見識を掲げれば、「立憲代表選 財政選択肢示す論戦を」(朝日)、「立民代表戦告示 現実的政策を確立できるか」(読売)、「立憲代表選が告示 政権託せる構想を競う時」(毎日)と、いずれも8日の社説見出しである。きわめて当たり前の主張をしているし、候補者各位もまたそれらしい主張をしているのだが、格別の刺激が感じられない。

 なぜだろうか。単純に比較すれば、アメリカ大統領選挙は、「ハリスかトランプか」の選択が有権者の課題であって、くどくどと理屈を積み上げるような話が求められていない。なるほど政権構想は論点として重要であるが、党の代表選(やがては総選挙でも論点になるが)において、ひょいちょいと語れることは知れている。つまり煮詰められていない。

 自民党の裏金事件に人々は怒り、あきれ果てた。しかし、ふだんから政権構想(あり方)を自分の問題として考えていないのだから、候補者が熱弁をふるっても頭に入ってこない。国会での議論が日常的に緊張感をもって展開されており、人々が自分なりの見識をかみ合わせて考える習慣がほとんどなかろう。つまり、政治が論理的に思索されていない。

 これは日本政治の致命的欠陥である。ひごろ国会議論を大切に扱っていないから、たまたまの選挙で大きな議論をすることができない。たとえば、防衛費の費用捻出問題よりも、それが本当に日本の安全に寄与するのか、という次元の議論がまったくできない(しない)。要するに、アメリカに追従していれば安全保障! という思考回路である。これでは危ない。

 それ抜きに「政権構想はいかに」などと質問するほうも実にいい加減である。結局のところ、国のあり方の基本をおっぽり出しているから、行きつく先は自民党が長年にわたって展開してきた政治の枝葉末節について異論を述べる程度である。しかも、自民党議員にせよ、立憲民主党議員にせよ、多数を糾合しようと思えば八方美人になるのは当然の成り行きである。

 両党とも、本当に政権構想を語るには、自党のアイデンティティを再発掘せねばならない。既存政治の惰性を打破しなければ変化はできない。