筆者 高井潔司(たかい・きよし)
先日、本欄の主宰者、奥井礼喜・家元から電話を頂いた。「日中友好協会の元事務局長、酒井誠さん、御存知でしょう。最近、本を出されて、高井さんにも読んで欲しいと言っていましたよ」という話。
2000年代初め、私は友好協会の機関紙にコラムを連載させてもらい、酒井さんの紹介で、そのコラムを基に『中国報道の読み方』という本を岩波書店から出版することができた。大変お世話になりながら、中国のその後の動向や日中関係、友好運動の衰退に嫌気が差して、酒井さんとは20年近く連絡を取ることがなかった。
しかし、私も目下、戦前の日本の中国論、中国報道をまとめる本の出版の準備をしているところなので、ぜひ私の本も読んでもらいたいとの思いから、奥井家元に電話番号を聞き、連絡を取らせてもらった。
酒井さんにどやされるかと思いきや、昔と変わらぬ、優しい口調で、「実は私の父親は共産党員で、戦前、入獄を繰り返し、敗戦で出所し、結婚して私が生まれたが、その後も共産党が非合法化され、1955年まで地下生活を送った。だから私が知っている父親は私が18歳で中国に留学するまでの10年間位。留学後、中国と日本の共産党の対立に巻き込まれて、父親とは絶縁状態になり、葬式にさえ参列できなかった。今回、その父親の足跡を色々調べて、まとめたんです」と出版の経緯を説明してくれ、さっそく本も送ってくれた。
酒井さんとは酒席を共にすることもあったが、そんなプライベートな話は聞いたことがなかった。私の本とも重なる時代の内容でもあり、興味津々で読み進んだ。
酒井さんは8月14日付の本欄に「『酒井定吉とその時代』(知道出版)を上梓して」との一文をお書きになり、ご自身の著作を紹介している。酒井定吉の経歴と戦前の活動については、そこに書かれているので、私がここで紹介するまでもない。
むしろ、酒井さん親子の間には「中国の文化大革命を契機として長年の父子間の確執があるのだが、そのいきさつについては、戦後の父の足跡とともに拙著に詳しく書いたので、ここでは触れない」としている部分について、私は敢えて触れてみたい。酒井さんとしては、読者の皆さんに読んで頂くために触れなかったかもしれないが、皆さんに興味を持って頂くために、本書の核心部分のさわりをぜひ紹介したいと思うからだ。
酒井さんはその確執の遠因、背景となった中ソ対立、文化大革命の評価、日中の共産党の対立、そして共産党という組織の体質について、その当時の思いと現在の心境を綴っている。私は酒井さんの一つ年下。同じ時代を生きて来たので、私自身の思いとも重ね合わせながら興味深く読ませてもらった。
酒井さんは中国留学まで、両親はもちろん父親の地下生活中世話になった叔母一家も共産党員で、共産党に囲まれて育ってきた。留学も父親が共産党の幹部であり、その関係で推挙された。留学先はもともと戦前の父親と同じソ連が予定されていた。が、ソ連共産党との関係がぎくしゃくする中で急遽中国に変更されたという。
ところが中国留学したのは1965年10月。中国では文化大革命の狼煙がちょうど上がり始めたころだ。文革は翌年、日中の共産党の仲を割く原因ともなった。留学中の日本共産党員の酒井さんは、党から日中間の青年大交流に参加しないよう求められた。が、その強引な指示に、現地で交流の世話役を務めていた関係もあって拒否した。現地では賛否の留学生間で暴力事件もあり、酒井さんは党から除名され、父親とも絶縁状を書く事態となった。
その後、酒井さんは1968年に帰国し、父親宅を訪ねたが、喧嘩別れに終わった。74年父親は亡くなったが、党葬には参列を許されなかった。父親との生活は18歳までの10年程度で、父親の活動についてはほとんど知ることもなく、墓参りさえ欠かしていたという。
しかし、父親の遺品から見つかった自筆の経歴書を手掛かりに、2008年ごろから、父親を知る人々へのインタビューや父親の尋問調書、国会図書館などに残る父親に関する資料を10年以上にわたって読み込み、本書を書き上げた。
戦前の共産党に対する厳しい弾圧、党指導者の相次ぐ転向、とりわけ特高警察の拷問にも耐え、非転向を貫いた酒井定吉の一生。酒井さんの記述は、父親への賛辞に変わったとさえ感じる。それは、酒井さん自身、盲信していた毛沢東の世界革命の幻想崩壊や人民解放軍の発砲鎮圧で幕を閉じた天安門事件を体験し、権威主義体制への疑問が強く芽生えたからでもある。
しかし、それは酒井さんの信念の180度転換ではないと私は考える。それはエピローグの以下の部分からうかがえる。
「父が15年もの歳月を獄に繋がれてなお節を貫き、あの苛烈な戦前・戦後の時代を誠実に生きたことを思い、言い知れぬ感慨に打たれる。『以て瞑すべし』との想いがわく一方で、私はその言葉に虚しい響きをおぼえもする。私たちの眼の前にあるのは、父が生涯をかけて、そのために奮闘した国際共産主義運動も、プロレタリア国際主義も、すでに死語となって久しい現状に外ならないからである。『近代と資本主義の体制に呻吟していた人民にとって』、『大きな夢とロマン』を与えるものとされた‟社会主義思想”は、現実社会の実体としては、その輝きを失ってしまったようだ。父ら無数の先人たちの失敗と挫折を乗り越えて、‟社会主義思想“が再び輝きを取り戻す日が来ると信じたいが、それは未来の世代の手に委ねるしかないであろう」
社会主義思想をめぐって対立した親子だが、その夢とロマンは同様に裏切られた。同じ昭和という時代を共有する私にも共感するところが多い。
◇
社会主義は理想である。しかし、それが科学や真理、そして正義を主張し、「夢とロマン」を振り撒き、実現を目指す時、権威主義を生んでしまう。社会主義の実現を目指すのは人であり、組織である。人や組織には失敗や過ちは付き物である。だが、正義を主張すればするほど、反対勢力が強ければ強いほど、その失敗や過ちを覆い隠す権威主義が生まれる。やがて理想は幻想へと堕落する。それを自覚し、克服する道はないものか。
