論 考

いま、問題はSNSより既存の政治文化だ

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 8月9日付の朝日新聞「山腰修三のメディア私評」は、先の東京都知事選挙で予想以上に善戦した前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏の‟石丸旋風“を取り上げた。見出しが「『石丸旋風』の先に『論破』のSNS文化 政治を侵食」とあるように筆者の山腰修三・慶応大学法学部教授はこの旋風に批判的である。

 私も山腰氏同様、この旋風に批判的ではあるが、山腰氏とは違って、この旋風を予想し得なかった、若者の側から見ると既得権益側の人間として、彼等の意見を既存の政治に取り込むシステムのないことをより強く指摘したい。

 まず山腰氏の議論を紹介しよう。氏は、この旋風をめぐり、まず留意すべき点として、「そのイデオロギーや主張にはとくに新規性がないことだ」と指摘する。その上で、それは「『改革』が政治におけるマジックワードになった1990年代以降、既成政党や『既得権益』との対立構図」を示す「新自由主義的ポピュリズムの系譜」に位置付ける。そして「この系譜においては、より新鮮でしがらみのない存在とみなされることが重要で、石丸氏はこうした条件を満たしていたため支持されたと考えられる」という。

 しかし、これまでの系譜との大きな違いは、ユーチューブやX(旧ツイッター)などのSNSを駆使する選挙戦略を展開しているという点だ。山腰氏はそこに問題点を指摘する。

 「石丸氏は市長時代に政治家やメディアを批判する様子がSNSで話題となり、知名度を高めた。ネットにはもともと、相手を言い負かすことを正義とみなす『論破』の文化があり、SNSユーザーの共感を呼んだというわけだ。問題は、政治には非寛容的で排他的なSNS的コミュニケーションが不可欠で、かつ有効であるという考え方が受け入れられ、広がっていく点にある」

 山腰氏はさらにSNSコミュニケーションのいくつかの問題点を指摘した上で、それによって形成される政治文化が「それぞれの陣営の支持者が互いにバッシングし合うというSNSの構図は、立場の異なる他者の声に耳を傾けない政治文化の今後の進展を予言しているようでもある」と結論する。

 この山腰氏のSNSコミュニケーションによる政治文化の進展に関する分析と懸念に、私は、異論はない。

 ただ私が懸念し、より大きな問題だと思うのは、こうしたSNS政治文化の進展に、既存の政治が何の反応もみせていない点だ。山腰氏もこの点に全く論及していない。

 “石丸旋風”が巻き起こったのは、既存の政治が若者の声を吸い取るような政治となっていないことにある。知事選であろうと、国会両院の選挙であろうと、立候補者はその場限りの当落を争うイメージ選挙を展開するばかりで、若者の声に耳を傾け、取り込むシステムになっていない。既存の政治体制もSNSという異なる立場の意見に耳を傾けようとしていないのだ。

 若者にできることは、眼の前にあるSNSを使って既存の政治を揶揄し、笑いものにすることだ。それを利用して政治を食い物にする政党さえ生まれている。既存の政治がそうした風潮にしっかり対応しないから、ますます両者の乖離は進み、SNS文化は拡散、発展する。それは山腰氏が懸念しているSNSによる政治文化の展開である。

 都知事選挙の序盤のある日、私は腰痛の治療のため近所の整骨院でマッサージを受けていた。30歳代の男性マッサージ師と「大谷はまた打ったね。すごい」などとたわいのない世間話をしていた。ところが突然、彼が「知事選、石丸が勝ちますよ」と語り始めた。私の住まいは埼玉県であり、余りに唐突で、私は何を言っているのか、理解できなかった。

 話に乗れない私に、彼は、それ以上は語らなかった。だが、私の頭の中に「石丸」という言葉がしっかり刻まれた。その後、週刊誌の広告などで、石丸候補が蓮舫候補を上回るといった見出しを見るようになった。“石丸旋風”はこういった人々の間で吹き荒れていたのだと推測した。

 私は目下、大正デモクラシーを担った吉野作造らの中国論や大阪朝日新聞の中国報道について研究を進めているが、その関連で大正デモクラシーが軍国主義に呑み込まれる過程にも注目している。

 普通選挙(といっても女性の参政権はなし)を実現し、政党内閣も定着した大正デモクラシーがなぜ衰退したのか、その大きな原因は国民生活よりも、政権争いの泥仕合を演じた政党政治にあった。

 数千万、数百万円もの裏金を作り、「政策活動費」と称して使途も明らかにしない。政治には金がかかるというが、明らかにできない政策活動費とは一体何だろうか。彼らが政治を語るのは選挙の時だけ。それもまともな政策など聞いたことがない。結局、政策活動費は、票を買うための費用ではないのか。

 週刊誌の報じるスキャンダルを種に展開される泥仕合に国民は辟易としている。政治が国民生活の不安の解消や改善に答えていない構図は戦前を思い起こさせる。“石丸旋風”が一時的な現象であっても、既存の政治がこのままではますます他者の声に耳を傾けないSNSの政治文化がはびこるに違いない。