論 考

人間らしい生き方ができる社会の実現

筆者 新妻健治(にいづま・けんじ)

 産業とは、人間社会にとっての手段である。ゆえに、産業は、人間社会の発展と持続可能性に資する存在でなければならない。そして、そのことを政策の旨とすれば、産業の果たすべき役割・機能と実現すべき価値という本質に至る。しかし、その発揮に向けては、資本主義が立ちはだかる。この政策は、その改良の次元に留まった。

 この政策の理念とした「人間が人間らしい生き方ができる社会の実現」に向けて、資本主義を乗り超えるとはどういうことなのか、私は学び続けたい。

思い出深い仕事

 思い出深い仕事があった。それは、我が組織が所属する産業別労働組合(以下、産別)の流通産業政策の策定責任者となり、政策を上梓させたことだ。私は自ら手を挙げて、その仕事を引き受けた。

 産業別労働組合とは、産業政策の実現を、その基本機能とすべきであると、私は考えていた。だから、この仕事を担うことで、この産別を、産業政策の実現の運動を強力に推進する体制へと転換させていく契機にすることを企図した。

 この組織の活動実態を概観すれば、賃上げで半年、残りは選挙と方針検討に費やし、産業政策活動に割く資源は、僅少だった。(少なくとも、私にはそう見えた。)

産業政策のコンセプト

 私はまず、この政策に、私が企図したことを、明確な意思と意図として表現するためのコンセプトを定めた。

 その一つは、日本社会の向かうべき方向を論じ、それに資するための産業の果たすべき役割・機能、生み出すべき価値を明らかにすることだ。それにより、産業は、社会から必要とされる存在として、その持続可能を確立できる。それが、産業労働者の、雇用と労働条件の維持向上につながる。同時に、この産業に働く者が、社会的に意義ある産業で働くことをもって働きがいと感じ、ひいては、それぞれの人生の満足につながると考えた。産業とは、人間社会にとっての手段であり、産業のエゴであってはならない。

 二つ目に、社会の向かうべき方向を論じるにあたり、大きな時代認識と日本社会の現状に対する認識を持たねばならない。しかし、このような事案は、これまで執行部間で議論されることは、ほぼなかった。ゆえに、政策においてこの問題提起をし、「本当にそうか?」と、学びと実践を積み重ねていくことで、その理解と認識を深めていく、という運動の端緒にしたかった。

 三つ目に、求めるべき産業の在り方は、産業に働く仲間とともに創造し現出するものだとした。産業の現実とは、流通各社の経営という営為の総体であり、それは、私たちの働く行為により創り出されている。であるならば、どのように働くことで、この産業の望ましい在り方が、実現できるのかという運動論を、この政策に付した。加えて、その推進体制を構造化し、産業政策活動の形骸化を回避しようとした。

社会の向かうべき方向と産業

 「人間が人間らしい生き方ができる社会の実現を、人間そのものを資本に、それを支える産業として…」*1

 これは、政策書の巻頭に記されたスローガンである。人類社会にとって普遍的なことを最上位の理念に据えれば、社会の向かうべき方向を誤ることはないと考えた。このような機会を得たことで、これまで学びながら、なかなか形にならかった現代社会に対する問題意識を、自分なりに整理することができたと思う。

 時代認識としては、「文明論的な時代転換の必要性」、「(敗戦後)日本の歴史的経過と日本経済に対する基本認識」を提起し、大きな方向性として、「近代主義思想の克服」「経済成長主義からの脱却・定常型社会への転換」「日本の国家像と求められる価値観」とし、「日本の問題と克服の進路」へとつなげた。

 そして、流通産業は、それに資する存在として、「新しい時代の社会的要請・持続可能性への対応」「供給過多および過剰の克服」「価値転換を伴った流通産業の高度化」を果たすという論点を提起した。

流通産業の本質と実現すべき価値

 とりわけ力が入ったのは、この論点提起の前段にあった。「流通産業の本質的機能と実現すべき価値」というものだ。それは、人間社会にとって流通産業が、本源的に果たすべきものとは何なのかに帰着する。

 ここでは、参考図書をもとに、マルクスの問題提起を引用した。労働と消費というものは、本来(資本主義社会の以前の社会こと)、人間の個性的生活過程であったが、資本主義社会のもとでは、労働力の再生産過程以外の意味を持たなくなったというものだ。人間は、資本主義社会のもとでは、本来の人間の労働と消費という、人間存在の本質を失っていると考える。

 現代において、流通産業は、人びとの暮らしの極めて重要な社会的インフラとして、その命と暮らしを支えている。一方、視点を変えると、流通産業は、資本主義生産様式で大量に生産された商品を、人びとが大量に消費する仕組みとして構築され、大量消費社会を支えている。それは、資本蓄積の手段として、あくなき資本の増殖を支え、多くの危機的問題に加担している――という現実もあると、捉えなければならない。

 しかし、商品を交換過程を経て消費者が入手し、生活に活かしたとき、商品は、交換価値から使用価値に転換する。その意味で、流通産業は、経済過程の最終段階に隣接する。そのことをもって、流通産業は、資本の論理と人間の論理の「“汀(みぎわ)”に存在する産業」*2であると提起した。この本質的性格は、現代の経済活動を根本から見直さなければならない契機にあって、極めて有利な条件を有するとした。とすれば流通産業は、社会の問題を解決するという価値を生み出さなければならないのだと考えた。

資本主義の問題にむけて

 産業資本主義とは、労働を商品にするとともに、労働者を消費の主体として市場に組み込み、その生産物を大量消費させて、それを資本蓄積の手段とするころに成立している。ゆえに、流通産業は、資本主義がもたらす問題を媒介する存在であると理解せねばならない。私は、この問題に対する、自分自身の後ろめたさを払拭できないでいた。

 どうしても、資本主義という問題に行き当たった。だから、当時、資本主義を乗り超えることが可能なのかについて勉強し、自分なりにそれを模索した。

 これについては、様々な論がある。列挙すると、

 ――社会的矛盾を極小化しながら、人びとの生活水準を引き下げ、経済的には社会的必用に応えつつ、非生産領域への資源を増投するという「新資本主義論」。

 資本の本源的性格である、経済成長を抑制する特質を埋め込んだ経済社会システムの構築を提起したもの。

 個人の平等と環境との調和、社会の持続可能性が併存でき、経済成長を至上の目的としない「定常型社会」の構想。

 人びとの分かち合いを基本理念に、資本主義がもたらす種々の問題を修正しようとする「安定微成長経済」という構想。

 人間本来の創造性の自己発揮を基盤として、人びとそれぞれが人間社会から必要とされる存在としての心の豊かさを感じ得る、地域共同体の再生のという社会ステムへ構築し直すという構想――等々である。*3

 いま思えば、問題の発生源である資本主義そのものを、乗り超えるものは無かった。

組織の愚

 このような、具体的な政策に入る前の認識については、流通の執行部への説明には相当に苦慮したが、(対論なく、やむを得ず?)承認された。しかし、産別本部への提案においてはこの前段は削除され、具体的な政策のみとなった。「なんで、マルクスなんか引用しているのか⁉」と、言われたような調子だ。

 私は、それについて、賛否を含め、深く議論されたとは思っていない。以降、この政策実現への意気込みをもって、二期4年、「環境」「生産性」「地域」分野の政策を柱に、運動としての取り組みの端緒を創り出そうと尽力した。しかし、私の退任後、それらは継承されなかったようだ。

 私たちはこれまで、組織のリーダーとして、自らが産業政策の実現の当事者として活動したのだろうか。また、それを仲間と深く話し合ってきたのだろうか。このような基本的な自問自答無しに、組織が、真に社会的責任を果たすことはあり得ない。

さいごに

 私が、思いを込めた、思い出深い仕事であったがゆえに、いろいろ書き連ねた。このような契機があり、「人間が人間らしい生き方ができる社会の実現」に向けて、資本主義を乗り超えるとは、どういうことなのか。私は学び続けたい。

*1 「新・流通産業政策―第5次流通産業政策」UIゼンセン同盟(現・UIゼンセン)流通部会、2010年

*2 「変革の透視図―脱流通産業論・改訂版」、堤清二、株式会社トレヴィル、1986年 情報テクノロジーの発展は、企業側から市場・顧客への新しい接近を可能とする。その場合、「消費とは何だったのか?」ということへの回答が消費者から投げ返される。その中には、消費の本来持つ本質の現れと、新しい時代の消費者の反応が分かちがたく絡まっているに違いないと、堤は提起している。

*3 提起の順に…

「大衆的過剰富裕の克服―新資本主義論・視覚転換の経済学」・馬場宏二

「経済成長を抑制する特質を埋め込んだ経済社会システムの構築」・三和良一

「定常型社会⁻自足可能な福祉社会、新しい豊かさの構想」・広井良典

「惜福理念の分かち合いと正しい統合―幸福の三説・惜福、分福、植福」田村正勝

「知識社会に向けた地域再生で、豊かさを問い直す」・神野直彦