筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
長崎市が平和祈念式典にイスラエルを招待しなかったとして、米・英大使館は大使でなく格下を派遣する。豪・伊・加・EUなどは、それではロシアやベラルーシと同じ扱いでけしからんという。式典が政治化されるとご親切な忠告だ。
長崎市長は、ガザ攻撃をやめよと主張する。正しい。イスラエルがパレスチナ根絶やし作戦をとっていることは疑いない。長崎市長が人道的見地から判断したであろうことはまちがいではない。当たり前だ。
政治的なのは、イスラエルが招待されないと文句をいう連中だ。きわめて政治的、それではイスラエルの暴挙を止められまい。自分たちの政治的見地に合わなければ、角の立たない都合を説明して欠席すればよい。
長崎市長だけの問題ではない。形式的に核兵器廃絶をお祈りするだけなら、非政治的ではあろうが、既存の政治的枠組みにおいてむにゃむにゃ唱えるのと同じで、なにも変えられない。
現実にジェノサイドとみられる事態が進行している。それに対して異議申し立てをするのを政治的と云々して否定するような調子だから、プーチンの侵略についてグローバルサウスなどが明確に反プーチンを打ち出さない。
イスラエルを招待しなければ、ロシア、ベラルーシと同じ扱いだというが、プーチンとネタニヤフの間に明確な一線は引けない。いずれ劣らず、権力の権化で、人間の命を無視することに関して傑出している。
本気で軍事衝突をやめさせたいのであれば、米国はじめとして、イスラエル別格扱いをやめるべきだ。イスラエルを特別扱いすることのほうが「政治的」なのだ。
