筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
バイデン氏を取り巻く雰囲気は、少なくとも氏の大統領選継続を支持するものではない。日を追って撤退ムードがじわじわ高まっているようだ。一挙噴出しないのは、バイデン氏が自分自身で撤退を宣言するように、周辺が追い込まないようにとの配慮があるのだろう。
バイデン氏は「この仕事をやり遂げたい」と語る。もちろん、権力の座を失いたくないとか、名誉を手放したくないわけではない。
ストレートに本音をいえば、「トランプにだけは大統領を任したくない」という執念だろう。その思いを共有する人は多い。
この仕事をやり遂げたいという執念は、外国人のわたしにもよくわかる。感情的だが、執念が高齢現象とみられる事態を発生させず、人間的資質を疑わざるを得ないトランプを堂々と、いや、僅差であっても破ってもらいたい。
トランプもいい加減に高齢である。今度叩けば、非民主主義の芽を断ち切れるかもしれない。
一方、大統領職という仕事は、バイデン氏がやり遂げたいと思っても、やり遂げられない。未来に続く仕事であり、次の世代へのバトンを渡さねばならない。
そのように考えると、OK牧場ではあるまいし、バイデン・トランプの決闘に重点を置きすぎるのはよろしくない。
agingは、本人の意志や努力によって操作できない。自然が与えた体力である。その限界を見極めるがごとく、とことん倒れるまでがんばるという敢闘精神は評価するにしても、大統領任期4年間の言動・行動がいかにも危ぶまれる現状では、公職を個人的生き方論で左右することになる。
バイデン氏が撤退した場合、トランプに対して確実に勝利できる候補者がいないのはまちがいない。
しかし、それはバイデン氏の責任ではない。氏は、まさに精一杯やってきて、さらに加齢の限界にも挑もうとしているのだから、もう、役割は十分に果たした。
本当の問題は、バイデン・トランプの個人的確執ではない。
アメリカの人々、1人ひとりが自分たちの国をどうするか。トランプは希代のアジテーターであっても、所詮アジテーターである。
バイデン氏は十分活動した。この際、すっきりと後世代に託すべきだ。バイデン氏が撤退したからといって、氏が願ってやまない核心を知る人々が、活躍するはずである。
いま、バイデン氏がなすべきことは、「この仕事をやり遂げたい」という思いを込めてバトンタッチすることである。
