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4630万円誤送金問題で感じたこと

渡邊隆之

 この1か月で日本一有名になった町、山口県阿武町。給付の誤送金問題で毎日報道紙面を賑わせていた。遠い昔に法学部を卒業した筆者も、今回の誤送金預金を別口座に移して白を切る若者にどんな法律上の責任が生じるのか、関心があった。ネットユーザーのコメントも閲覧しつつ、自分の考えと日々答え合わせをしていた。

 ここで、法律上の責任には民事責任と刑事責任があるのだが、民事責任としては本件の若者に誤送金全額の4630万円についての不当利得返還義務(民法704条)があると思われる。

 これに対し、刑事責任については、学者間でも大きく意見が分かれている。もし今回の誤った給付が手渡し等直接現金で行われていたとすれば、本件の若者には占有離脱物横領罪(刑法254条)が成立し、町からの返還請求に対し「あとで返す」と噓をつき返さないのであれば若者には町を被害者とする詐欺罪(刑法246条2項)が成立するものと思われる。

 しかし、今回は銀行を介して「振込」で誤送金がされていたことから、被害者を銀行とし、預金に対する銀行の占有がどのような態様で侵害されていたかという視点で犯罪の成立を検討する報道が多かった。具体的には①(銀行窓口を利用した場合の)詐欺罪(刑法246条)②横領罪(刑法252条)③(現金を引き出した場合の)窃盗罪(刑法235条)④電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)などである。しかし、まず犯人にとって足がつきやすい①は現実的でない。②は、そもそも横領罪に必要な委託信任関係がない。委託信任関係が不要な占有離脱物横領罪(刑法254条)が仮に成立するとしても法定刑が軽すぎる。③は刑法上「機械に対する詐欺」は想定されていないので預金に対する銀行の占有侵害として窃盗罪を考えるのだが、出金でなく別口座に移しただけの場合にも同様に評価すべきなのかモヤモヤ感がある。④は事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報や不正な指令を与える等して財産権の得喪・変更が生じた場合に犯罪を認めるのだが、その典型例は偽造カードや不正プログラムを使用して利得する場合である。誤送金の預金を自分のカードや口座を使って事実上利得した場合も「虚偽の情報」「不正な指令」があったとして処罰しうるのか。

 これらを踏まえて、民事責任は問えても、犯罪構成要件の明確性を重視する罪刑法定主義の観点から刑事責任を問うことは難しいのではとの考えもあるようである。

 しかし、給付の効率化を図るために銀行振込を利用したことで、かえって今まで犯罪として処罰できていたものができない、あるいは軽く処罰されてしまうのはおかしい。

 思うに、刑法は犯罪と刑罰に関する法であり、行為者の自由保障と社会の秩序維持をどう調和するか、量刑は妥当かなどを考慮して犯罪構成要件の解釈がなされるべきものである。今回は④の電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)での逮捕となったがどのような解釈で処理を考えていくのか、とても興味深い。

 「技術革新に法律改正が追い付いていない」という言葉をよく耳にする。しかし、④の電子計算機使用詐欺罪は実は昭和62年の刑法一部改正で盛り込まれた条文である。美人女性行員の「好きな人のためにやりました」の言葉で有名になった、あの三和銀行オンライン事件を発端とする。

 刑法の改正については、最近では性犯罪での性的同意年齢の引き上げや、ネットでの誹謗中傷を契機にした侮辱罪の法定刑の引き上げなどが検討されている。社会環境の変化に合わせての法改正は歓迎すべきなのだが、筆者としては今回の誤送金事件でもっと気になることがある。

 まず今回逮捕された若者の遵法意識についてである。誤送金と認識しつつオンラインカジノで費消し、事実上返済不能な状況に陥ったにも拘わらず、民事訴訟では相手主張を全面的に認める請求認諾。借金の踏み倒しに全く抵抗感が感じられない。この国の国民の質も大きく変わってしまったのだろうか。背景として全般的な社会的困窮・家庭的困窮も影響しているのだろうか。

 また、今回の誤送金は、引継ぎが不十分な町役場職員のミス、銀行職員の確認ミスが重なり生じている。人材育成を怠ったツケが如実に現れていると感じる。

 居心地の良い健全な社会をつくるために、自分ならどう社会インフラに関わり、良質なサービスを提供していけるか。犯罪の成否のみならず、考えさせられることの多かった事件であった。