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ロシアの反体制活動家として世界的に有名な元弁護士のナワリヌイ氏が、2月16日、北極圏のヤマロ・ネネツ自治管区にある矯正労働収容所で、散歩中に気分が悪くなり死亡した。当局が死因は調査中とするが、国営メディアは血栓症と伝えた。病死だと信ずる人がいるだろうか?
同収容所はモスクワから北東1900kmにあり、重大犯罪者を収監しているが、ナワリヌイ氏の弁護士も容易に面会に行けない場所らしい。
イギリスには多くの亡命ロシア人が住んでいる。イギリスで謎の死を遂げる亡命ロシア人は少なくない。ナワリヌイ氏がプーチン権力のテロによって暗殺されたと、世界中が見ていることは間違いない。タイムズ紙は「プーチンが最も恐れた男」と伝えた。独裁は本質的に脆弱だから苛烈になる。
3月はロシア大統領選挙である。3年目に入ろうとするウクライナ戦争情勢は、プーチンが期待するように推移している。ウクライナ軍の兵士は疲弊し、2023年からの反転攻勢は成功していない。
志願兵が伸び悩む。ウクライナ軍は最大で50万人の動員増加を求めているが、見込みは薄い。しかも、アメリカの強力な支援が失われ、NATOは一枚岩ではなく、なんとしても武器不足である。汚職の暴露も大きな落胆を生んでいる。兵士の戦意喪失は無理もない。
アメリカ大統領選挙について、国内テレビにいずれがよいかと問われたプーチンは、バイデン氏のほうがよいと答えた。大方の報道はトランプ向け援護射撃だと解説した。プーチンの本音はどちらでも構わない。自分こそが卓越した指導者で、他に並ぶものなしと言いたいのである。
大統領選挙に向けて万全の体制、状態にあるなかで、ナワリヌイ氏に手を下した。プーチンが、世界中に向けて発信した目下の勝利宣言である。ただちに敵対する各国がプーチンの弾劾発言をしたのは当然である。
圧倒的なプーチン権力体制に対して、カリスマ的人気が高いとはいえ、言論だけで立ち向かったナワリヌイ氏である。わたしは、来るべきことが来たという暗たんたる気持ちである。プーチンを最大級の言葉で弾劾し、ナワリヌイ氏を賞賛し、哀悼の気持ちを表現したとしても意味はない。
ナワリヌイ氏は、2020年、モスクワに向かう航空機内で意識を失った。出国してドイツで治療を受けた。ドイツ当局は、ナワリヌイ氏に使用されたのは、猛毒化学兵器のノヴィチョクだと発表した。すでに4年前、ナワリヌイ氏へのプーチン権力による「処刑」が発動されたのである。
しかし、ナワリヌイ氏は治療後、2021年1月にロシアへ空路帰国した。ナワリヌイ氏は亡命生活の否定を決断した。どう考えても、それは成功しなかった処刑を再度受けるための行動としか考えられない。
帰国が自身にとっては最悪の危険な事態だということを認識していなかったとは思えない。権力を追い求めたマクベスに3人の魔女が対したように「森が動くときがお前の最後だ」と予言したかったのだろうか。いや、ただちにロシアの人々が奮い立つなどとは期待していなかった。
ソクラテスの最期が思い浮かんだ。アテナイの国家が信じる神とは異なる神を信じ、若者たちを堕落させた、というのがソクラテスの罪であり、公開裁判で死刑が判決された。収監されても、逃げようとすれば逃げられる状況である。親友のクリトンが熱心に逃亡を説得したが、ソクラテスは応じず、唯々諾々毒杯をあおいで死ぬ。
ソクラテスはクリトンに語った。単に生きるのではなく、良く生きることが信条であること。この国に生まれ、育ち、人生を過ごしてきた自分は、国が間違ったからといって、その法律に反することを是としない。やがて、間違いは正される。アテナイの人々はのちに大いに反省した。
ナワリヌイ氏は、自分の行動をソクラテスと同じように選択した。英雄的行動とは、他者を扇動することではなく、自分の生き方として良く生きるのだという声が残された(ように思う)。凶報を聞いて、ソ連時代政治弾圧の犠牲者記念碑があるモスクワのルビャンスカ広場前をはじめ、全国各地で追悼の市民の行列が途切れないという。ただし、追悼だけでは足りない。
声なき遺言の重たさを、(日本の)わたしは受け止めねばならない。