論 考

恐れる何かについての一考

 中国1989年「6.4風波」(天安門事件)の記事が多い。権力対被権力の構図で記述されるのは当然であるが、同時に、党・政府が依然として非常に神経質である事実にも注目しておく必要がある。

 1978年から改革開放に舵を切ったものの、89年当時も改革派の基盤は決して強固ではなかった。いつ、反動が発生してもおかしくなかった。

 単純にみれば、民主化と経済改革の2本立てか、経済改革優先かの選択肢があった。ゴルバチョフのソ連が2本立てで失敗すると分析した鄧小平ら改革主流派は経済改革1本に絞った。武力で抑えるかどうかは厳しい議論があった。

 誰の頭にも文化大革命の苦い思いが蘇っていたであろう。放置すればいかなる事態に発展するかわからない。

 趙紫陽総書記の説得が不成功に終わったあたりで、鄧小平は武力弾圧の腹を決めたはずだ。軍の出動に際して、天安門の学生は、劉暁波らの説得で天安門から退出する。だから多数の死傷者が出たのは天安門ではない。

 文化大革命は全国的な争乱だったから、仮に、権力者が取り繕おうとしても無理である。いまでは、だいたいのことはわかっている。

 「6.4風波」についてきちんと総括できなかったのは、党内に厳しい対立が存在したからであろう。時間が過ぎるほど、今度は古傷に触れたくない意識が固まってくる。しかし、総括しない(できない?)から、権力者はいつも何かを恐れていなければならない。

 日本人がこの問題を見る時、いわゆる日本人的感性で考えるのはよくない。

 中国の人々は、1911年の武昌蜂起、辛亥革命から、対日戦争、内戦を経て中華人民共和区を建てたが、大躍進の大失敗、文化大革命の動乱が続いて、ようやく新たに舵取りした改革開放までが67年。いまは、それから41年だ。

 日本の権力者が恐れている何かと、中国の権力者が恐れている何かの質も量も決定的に異なっている。