月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

労働観が壊れていく

司 高志

 唐突だが、人の心には、誰もみんな同じように、善悪合わせて一揃えが備わっていると考えている。良い行いの種も悪い行いの種も、みなそれぞれの心に一セットがそろっている。

 ユングあたりが言っているように、男性であれば、社会生活で前面に出ているのは男性性だが、女性性がなくなったわけではない。普段は表に出てこないシャドーとして心の中にしっかり息づいている。ユング心理学では、シャドーは認識されないので、無意識下にある女性性との統合が重要だと考えているようだ。女性の場合も、説明は同じになるので省くが、女性の場合は、男性性がシャドーとして機能し、表面には女性性が表れている。

 ということで、話を戻すと、人の心には善悪一揃えで一体のものが存在していて、人生の経験やその人の持つ心の動きの特徴から、普段の行いがどういうものになって表れるかが決まってくる。

 こんな話から始めているのは、資本主義と自由競争のセットは人の心の現れ方を、悪の方に傾けやすいのではないかと考えているからである。たとえば次のようである。

 競争は世の中をよくする → 競争を促進するような仕組みを作ろう → 競争には勝たなければ意味がない → 合法なら勝つためには何をしてもいい → バレなければ違法でもいい。

 こうして人の心が持つ悪い面が現れやすくなる。変化がごく自然に心から湧き出て起こるために、意識しないうちに社会全体が、お金のためなら少々のことは…という方向に徐々に流れてしまう。神の見えざる手が悪魔の見えざる手に次々と、容易に置き換わっているように思えるのは、つまり、自由競争が、自然な形で人の悪心を呼び起こし、神のような行動よりも悪魔のような行動が起こりやすくなるからだ。

 実例に入ろう。最近S銀行がシェアハウスのオーナーに無茶苦茶な融資をしていたことが発覚した。シェアハウスは、個室と台所や洗面などの共用部分を持ったアパートのようなもので、昔風に言えば学生寮みたいなものだが、ここで入居者が共同生活をする。この考え方は新しく、実際にやれば面白いかもしれないとは思う。システムとしては、入居者から家賃を取って、建物の建築費などのローンを返していく。シェアハウスを建築して売った会社は、シェアハウスのオーナーに対して、入居者がいない時の空室の家賃保証をしていた。ところがその、シェアハウスの運営会社がこけてしまったのである。家賃保証のなくなったオーナーは窮地に立たされ、あえなく自己破産などになってしまう。

 銀行員ならば、このようなビジネスモデルが、長期にわたり成立しないのは一目瞭然である。また、このシェアハウスは、転売の利かない不良物件的な要素を持つものが多かった。シェアハウスという手法にしても、このビジネスモデルはすぐに真似られ、競争相手が増えるし、ローンを払い終わるまで家賃保証ができるという保証もない。オーナーに関しても、自分で借主を募集して、大家をやっていこうという気概やノウハウのない人が多かった。こういう大家には、お金を貸さないのが普通だろう。

 しかし、どうやらS銀行では、融資の額が社員のボーナス額に直結するという評価制度を作ってしまっていた。普通なら、数十万円のボーナスでも満足すればよいものを、周りの人が数百万円のボーナスを得ていれば、融資額の少ない人はどういう心境になるだろうか。しかも融資の少ないダメ社員だとみんなから思われる。やはり悪魔がささやくだろう。ダメ会社が運営するダメ物件でもお金を貸してしまえと。

 こういうことが、そこ、ここで起こっている。外国からの技能実習生を受け入れるという制度がある。外国の人に日本の現場で実習して技能を習得してもらおうというものだが、故国に帰って何の役にも立たない福島第一事故のごみの掃除をやらせるなどの違法行為を行い、モラルが崩壊してしまっている。また、放射線作業には特殊勤務手当が出るが、手当のピンハネも行われているようである。さらには別件では、S建設では、下請けとはいえ福島事故での掃除をした細かなごみを勝手に埋めてしまったりした。もちろん違法である。

 中央省庁では、障害者の雇用の率をごまかすなど、どっちもこっちも違法だらけで、モラルの崩壊である。

 はては国連から、ホームレスなどの知識のない人に福島事故のごみ掃除をさせるなど、安全確保がおろそかであるとの指摘も受けている。これに関しては、日本は何かと反論しているようではあるが、全くのデマでもないように思う。

 資本主義と自由競争というのは、人の心を崩壊させるには格好の制度であり、野放しの競争は絶対によくない。悪い制度は、人の心に潜む悪の要素を容易に引き出すということを念頭に置いて、諸制度を作っていかなければいけない。