週刊RO通信

とんでも「薄覧会」

NO.1558

 万国博覧会は1798年パリで開催されたのが始まりである。1889年の万国博もパリで開催されたが、フランス革命(1789)100周年を記念して、準備には非常に力が入った。

 象徴的な建築物としてエッフェル塔が採用された。時代背景としては、先進国では高層建築物ブームが起こっており、その最先端を行こうというわけであった。コンペテーションで採用されたのは、ギュスターヴ・エッフェル(1832~1923)による高さ312.3メートルの尖塔であった。

 1887年1月28日に起工式をおこない、プレハブ工法(あらかじめ工場で部材の加工・組み立てをおこない、現場で組み上げる建築工法)を採用し、2年2か月と5日という超スピードで竣工した。作業安全には徹底的に注意を払い、人命損失は1人であった。建設費は650万フランという。

 のちに、「鉄の貴婦人」(La Dame de fer)と呼ばれるが、建築当初は賛否両論、「なんたるみっともないものを建てたか!」という非難ごうごうであった。

 文豪モーパッサン(1850~1893)はその筆頭である。にもかかわらず頻繁にエッフェル塔1階のレストランで食事をする。「パリでは、どこからでもエッフェル塔が見えるが、ここなら見なくて済む」と語ったそうだ。

 某日、熱心なエッフェル塔ファンの詩人サンドラールが、たまたまエッフェルを見かけたので、「とても美しい」と称えたが、エッフェルは皮肉を言われたのだと思い、本気にしなかったらしい。

 鉄やコンクリートの建築物が人々に好感をもって受け入れられるようになったのは、1920年代から30年代のことである。ようやく、20世紀初頭の現代芸術の流れが人々に了解されるようになったのと同様である。

 ある評論家が「機械はバラのように美しい」と語るや、イタリアの作家マリネッテイ(1876~1944)は、「機械こそ美しい」と言ってのけた。彼は、調和・統一・伝統に基づいた美意識ではなく、躍動的な力や運動が感じられるものこそ芸術作品にふさわしいという立場である。芸術作品は時代のアンテナである芸術家によって生み出される。そして、新たな時代を拓いていくと考える。

 さて、来年4月13日開幕予定の大阪・関西万博の話題がお粗末すぎる。一時的な建物だからとしても、これから1年間でしかるべき会場ができるのだろうか。パビリオンを自前で建設する参加国が60から40に減った。工事のめどが立たない。万博気分が盛り上がらない。チケットは2300万枚売りたいところが、まだ130万枚だ。ラッピング電車が走り出したが、こんなことで盛り上がるものだろうか。おカネの大問題は横に置いても、いったい無事開幕にこぎつけられるのかを心配する事態である。

 万国博覧会(Universal Exposition)は、ジンタで客寄せする巨大な見世物小屋ではない。「いのち輝く未来社会のデザイン」というキャッチコピーは抽象的で内容がまったくわからないが、まあ方向性としては、このキャッチコピーのような博覧会であるべしだ。

 つまり、博覧会開催を通して、入場する、しないに関わらず、人々に未来社会を考えてもらうものでなければ開催する意味はない。個人でいうなら、現状の自分と社会に思いをはせるものでありたい。いま、果たして、いのち輝いているのか? それなくして、博覧会の訴求力はない。

 巨大なお荷物・夢洲の起死回生を図ったのかどうかは知らないが、ただいまの進捗状況では、夢洲の悪夢がスパイラルで拡大しているみたいである。嫌味をいえば、そもそも、本気で万国博覧会の意味・意義など考えもせず、見世物を引っ張ってくればいいという程度の頭脳程度ではなかったか。まことに軽薄だという感想を捨てられない。

 未来社会のデザインとは、「もっと良い時代があるかもしれないが、これはわれわれの時代なのだ。たとえ石ころのように黙ってじっとしていても、われわれの受け身の態度そのものが一つの行動である。われわれは、この行動が意志的であることを決意する」(サルトル)という、まことに苦い思いから立ち上がらねばならない。万国博の組織化は大失敗である。