論 考

幕引きに使われた政治倫理審査会

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 全面公開で国民に向け説明責任を果たせと、鳴り物入りで開かれた政治倫理審査会、残念ながら何ら真相が解明されないまま閉幕した。

 元首相など大物議員を質問者に立てた立憲民主党は全く追及材料も持たず、ありきたりの質問内容で、準備不足。野党は、「私たちはキックバックなど知らず、会計責任者が、秘書が処理したことなので、何も知らなかった」という相変わらずの弁明で、何も明らかにされなかったと自民党批判を展開するが、野党が何も明らかにできなかった、というのが実情だろう。

 「キックバックも裏金の使途も全く知らなかった」というのは、もし事実としても、それは過去のことである。この問題が発覚してから何か月経つというのか。その間、検察の捜査も入っているのだから、安倍派、二階派の幹部、関係議員は、当然会計責任者や秘書からキックバックや裏金の使途を聞いているはず。それを聞くのが審査会の目的だろう。

 それを発覚前の時点で知らなかったという弁明で、はいそうでしたか、それではわからないのは、無理はないと納得するのならば、審査会で「先生にはお世話になりました」などとおべんちゃらを言って、質問時間を消費している自民党の議員とほとんど変わることがないではないか。

 野党は審査会を開催すれば、すべて自ら明らかにするだろうと性善説を信じていたのだろうか。

 せっかくのテレビ中継だったが、野田元首相が岸田首相に対して、在任中はもうパーティをやらないと約束してくださいと再三要請していた時点で、こりゃだめだとテレビを消した。どれだけ任期があるかわからない首相に、もう政治資金パーティを開きませんとの言質を取ったからとて、何の意味があるというのか。それよりいくらでも首相を追及する材料はあっただろう。

 例えば、キックバックの不記載について「党で処分する」との首相の答えを引き出したのは一つの成果であるかのように、読売は報じていた。これだって追及する材料ではないのか。首相自身、自民党で行なった聞き取り調査で十分真相は分からなかったと述べている。真相を解明できないのに、どうやって処分するのか。それ位の追及をしないでどうするのか。

 一面では、「首相、規正法改正を明言」「不記載『党で処分』」と、まるで首相、自民支持の見出しを付けた読売でさえ、社説では「聞いただけでは解明にならず、社会面でも「同じ話ばかり」「確信触れず、有権者冷ややか」と、批判を展開していた。

 ただし、読売の社説の締めは「立民の泉代表は政倫審後、『時間の無駄だった』と述べたが、独自の材料もなしに、政倫審開催や審査の公開を求め続けてきた野党にも責任があるのではないか」と野党批判で結んでいる。

 一方、朝日社説も「予算案強行の踏み台か」との見出しで、「これまでの国会や記者会見での説明の域をでなかった。これで理解が得られると思っているなら、国民をみくびっている」と批判していた。

 国民をみくびっているのは確かだが、せっかくの真相究明の審査会をこんな形で終了させた野党の責任は大きいだろう。それこそ予算採決を人質に取って実現した形の審査会を、再び開催させる機会はありそうにない。国会は予算採決をめぐる攻防に移り、政治資金問題はひとまず幕引きの形となった。あとは、文春砲か朝日砲を待つしかないのか。