論 考

スウェーデンの選択

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 スウェーデンがNATOに加盟した。NATOはこれで北米2か国、欧州30か国の合計32か国になった。

 スウェーデン首相のクリステション氏は、「平和と自由のために協力する多数の民主主義国の中に新たな居場所を見つけた」と語った。ただし、どんぐりコロコロ、お池にポッチャンの仲間入りにしてほしくない。

 ざっと200年間、スウェーデンは非軍事同盟、中立国として歩んできた。

 この、非軍事同盟という意義は決して小さくない。なぜなら、軍事同盟を結んでも、角突き合わせる関係が明確になるのははっきりしているが、平和構築に進んだわけではないからだ。

 NATO戦略からすれば、対ロシアにおいては、軍事力のあるスウェーデンが参加したことで、相対的優位を増した。スウェーデンにすれば、核兵器に対する不安も背中を押したであろう。

 しかし、問題は「平和と自由のために」、本当に前進したのかどうか。つい先ごろまでNATOが積極的に東方へ拡大し、隆盛を誇っていたのだが、それがプーチンのウクライナ侵攻の口実にされてしまった。

 もちろん、ウクライナは未加盟であり、アメリカなどが盛んに加盟の空手形を発行していた。だから、道義的に、未加盟であってもウクライナは準加盟国扱いを受けて当然である。

 それが、ロシアのウクライナ侵攻以来の欧州・NATOのウクライナ支援であるが、一方で、NATOがロシアとの全面対決にならないように配慮してきたこともあり、目下、軍事的に十分な成果が上がっていない。

 ロシアは徹底的に物量戦を挑んでいる。ロシア兵が負傷しようが、戦場に斃れようが、こちらも人間扱いではなく物量戦である。

 かりに、欧州・NATOが武器弾薬の支援だけに徹底するにしても、相当支援内容を引き上げないと、ウクライナを見殺しにすることになりかねない。

 つまり、軍事同盟が平和と自由に貢献したくても、現実は血なまぐさい泥沼にはまっている。

 スウェーデンが、非軍事同盟・中立を貫いてきたことは、そうした事態を避けてきたのであるが、お仲間入りしたことによって、むしろ、危険の中へ飛び込んでいくことになる。

 非軍事同盟・中立論と軍事同盟論の、いずれが正しいかはわからない。しかし、民主主義とは人間の尊厳に立脚する。ならば戦争そのものと民主主義は天を同じくせずと考えねばならない。

 スウェーデンは福祉国家作りの面でも世界に突出している。いずこの国も、軍拡競争ではなく、福祉国家作り競争に邁進すれば、世界の景色は大きく変わるだろう。

 先日亡くなった、ガルトゥング氏(ノルウェー)の「積極的平和主義」は、構造的暴力を排するのであるが、スウェーデンが非軍事同盟・中立の偉大な価値を完全に放棄することなく、「平和と自由のために」、知的葛藤を続けていただきたいのである。

 もちろん、日本においても、人々がそのような思索を深めるのであれば、少しはマシな国になるだろうが。