週刊RO通信

どうする、ウクライナ

NO.1551

 2月24日は、ロシアがウクライナ侵攻を開始してから満2年が過ぎた。新聞各紙の報道が目立ったが、煎じ詰めれば、内容はいずれ劣らぬ「出口なし」説である。しかし、奇妙にも割り切ったかのような論調が目立つのは気がかりだ。ことは、天変地異ではない。食らいついて考えねばなるまい。

 戦争が膠着しているのは客観的事実である。派手な動きがないにしても、それは部外者の勝手な言い分で、現地では気を抜けばいつでも臨戦体制が崩壊させられる。単純なたとえだが、がっぶり四つで静止しているかに見えるとき、双方、隙あれば一手繰り出す構えでぴりぴりしている。

 2023年6月から、ウクライナが反転攻勢に打って出た。しかし、これは成功しなかった。原因は、ウクライナ軍の武器弾薬不足と兵力不足の2つだという。ロシア軍が使用する砲弾はウクライナ軍の10倍だという。ロシア軍が雨あられと発砲するのに対して、ウクライナ軍は狙撃手的攻撃になる。

 ウクライナ軍の武力が欧米の支援に頼っているのは侵攻以来、周知の事実である。要するに、それが不足している。EUが、100万発の砲弾を提供する予定だが、まだ半分しか達成されない。米国の兵器製造能力が滞っている。それが回復する2025年に、再度反転攻勢をかけるともいう。

 米国議会では大統領選を控えて、与党民主党と野党共和党の軋轢が高まり、半分はウクライナ支援から腰を引いている。欧州はウクライナ支援の意思が強いという見方と、とても一枚岩ではないという見方が併存する。だから、先の反転攻勢失敗の原因は欧米にあるという意見が説得力をもつ。

 ゼレンスキー大統領が、総司令官をザルジニー氏からシルスキー氏に変えたのは、武器不足・兵員不足対策が影を落としている。ザルジニー総司令官は兵員50万人増員を要請していた。ただし、容易に集まらない。ロシア軍の従軍兵士は61万7千人、そのうち動員兵が24万4千人らしい。

 ウクライナ兵士の疲弊が伝えられている。欧米などの強力な支援が失われることは直ちに前線に反映する。侵攻開始以来、前線の兵士はほとんど休んでいない。反転攻勢の失敗や、国防幹部らによる汚職の露見が、兵士の失望・落胆を生まないわけがない。

 ロシア軍もすでに7万人超が侵攻で死亡したという。1950年からウクライナ侵攻以前までの73年間、ロシア軍兵士の死亡は4万9千300人であるから、この2年間に、プーチンが武器弾薬のみならず、人命をいかに大量投入したか。彼が殺戮しているのは敵軍だけではない。

 ウクライナの人権団体のリーダーが、「独裁者は弱さに対してさらなる攻撃をかける。対話は弱さとみなされる。武器を使ってでも、法の支配を守る」と発言している。リアルな言葉であるが、人権の論理とは異なる。結局、力こそすべて論に与することになる。これが当然ではよくない。

 ウクライナ戦争の解決策が見当たらない。プーチンは、ウクライナを属国化(領土そのものよりも)するつもりであるという見方が強い。さらには、世界を植民地化してきた、西側帝国主義との戦いだとも語る。まして、戦況が悪くはないから停戦に追い込まれる可能性が低いともいう。

 ウクライナは、領土を取り戻す(占領2割程度)。それ以上に属国化は論外である。プーチンの西側帝国主義との戦い論からすれば、欧米の支援は、実は支援ではなく、彼ら自身の防衛戦争であるはずだ。それを、人口4千万人のウクライナが代表して、人口ざっと3倍のロシアと交戦している。

 戦争の着地点はウクライナ自身が決める、というのが大方の理屈である。しかし、(かりに必要な武器弾薬はウクライナが必要とする以上に潤沢に支援・提供するならば)、あなたの「お好きなように」という態度でよろしいのだろうか。「わがことの戦争だ」(朝日)というならばなおさらだ。

 欧米の支援の背後には、プーチンをとことん追い込んだ場合の危惧があるという。たしかに、核兵器が国の安全を守るという論理はすでに破綻した。世界大戦もごめんだ。といいつつ、半端な支援でウクライナとロシアの死闘を傍観するのが、果たして正しい選択だろうか。

 膠着状態のいまこそ、寄ってたかって、停戦への道筋をつけるのが人間の知恵であり、正しい選択ではなかろうか。