筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
推測するに、であります。
――パーティ収入の還付金や留保金である。天下国家の政治のために活用するおカネであるのに、裏金呼ばわり、脱税呼ばわりされるのは心外であり、かかる冤罪は断固として晴らさねばならない。――
槍玉に上げられている自民党議員諸君は、その思いで直ちに叫びだしたい心持にあるだろう。政治倫理審査会に出席するために、事前演習、トレーニングに努めている方もおられようか。
自民党議員諸君は、戦後ほぼ一貫して政権を担ってきた伝統を誇り、自負もまた半端なものではないはずだ。自作自演の裏金「疑獄」と罵られ、支持者からも犯罪人並みに扱われていることは、筆舌に尽くしがたい侮辱・苦痛である。
一刻も早く政倫審で弁明したいと期しておられる皆さまに、お見舞いと共に、(ご存じとは思うが)一つの偉大な先例を紹介し、「〇〇議員の弁明」として政治史に残る大演説になるように、陰ながらご提案する次第である。
他でもない。参考にすべき教科書は「ソクラテスの弁明」である。
前404年ペロポネソス戦争でスパルタに敗北したアテナイには、親スパルタ派の三十人政権が台頭し、従わないものを弾圧する恐怖政治をおこなった。
やがて嵐が過ぎ、今度は、ペロポネソス戦争敗北も含め、この間の国家的責任を追及する時期が訪れ、指導的立場にあったソフィスト・哲学者を糾弾する流れにおいて、ソクラテスも槍玉に上がった。
ソクラテスはダイモニオン(神霊)を公言する。それが国家の信じていない神を持ち込んだとして、涜神罪で訴えられた。
かかる逆境において、ソクラテスは、500人の市民陪審員による民衆裁判に登場し、一歩も引かず全面的に反論した。
ダイモニオンは心の中の声であり、自分がなにごとか発言し行動する場合、ダメなものはダメだと諌止する。つまり過ちを犯さないための禁止令である。
世間には、知ったかぶりする人が少なくないが、自分はなにも知らないことを知っていて、どこまでも真の知を追求する。
それこそが国家への最上の奉仕だと確信するからだ。自分は、人々に差別なく教えるし、報酬は受けない。そういう心構えで問答を繰り返してきた。
ソクラテスの堂々たる弁明を理解できなかった(あるいは、理解できたからか)市民陪審員の多数がソクラテスの死刑に投票した。
ソクラテスが牢獄からいくらでも逃亡できたのに、あえてしなかった話はさらに有名である。世に、「悪法もまた法なり」として語り継がれる。
議員諸君におかれては、悪法を定めるような心づもりではないし、まして作った法を自分が破るなんてことはやらないはずだ(と忖度する)。
ソクラテスの倫理=人生における心構えは、自身の揺るがない正義にあった。自分が故意に不正は犯さない。万一過ったことがわかれば、直ちに改める。自分が、自分の正義に反することは、刑罰よりも大きな禍である。
これを主張するとき、ダイモニオンは諌止しなかったから、正しい選択をしたのである。ソクラテスにとって、正義とは最善(の行い)である。
インテリ揃いの議員諸君だから、ソクラテス的態度に共感しない人はおられまい。非公開でやれなどとバカを言うはずもない。テレビの時代である。できるだけたくさんの人々に自分の正義を説明して、身の潔白を証明するべきである。ソクラテスのように死刑にされるわけではない。
しかも、現代の市民は、2400年前のアテナイ市民陪審員以上に聡明であることを、議員諸君は熟知しておられるであろう。
巷間、一月は行く・二月は逃げる・三月は去るというが、時の過ぎゆくままに委ねるなんてことは、まさか、あるまいと期待する。
〇〇議員よ、いまや絶好の機会が訪れる。死中に活を求めたナワリヌイ氏の態度に続くべきである。堂々たる弁明を心待ちにする。(当てのない市民の見解)