論 考

語ることが平和への道

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 わたしが社会的に物心づいたのは、たぶん15歳くらいだったろう。社会人になって、組合支部役員として活動を始めて、1982年に組合活動から退いた。その間、いろいろな機会をとらえて、(主として広報・教育分野)平和について語り続けてきた。妙な表現になるが、当時、平和を語ることに気恥ずかしさを感じたことはない。

 2000年代になり、平和を語ることが、なにかしら疎んじられるような気風を感じるようになった。世の中がわかっていないとか、平和教論者みたいな反発がそこかしこに見えた。理由の大半はウルトラ右翼の活動が浸透したのだと思われる。

 日本人は核アレルギーだ。軍事力なくして国が守れるか。というような議論が、あたかも正統派であるかのような発言が増えた。

 新聞の論調などみても、平和や戦争問題は季節ものと化しており、しかも、テキスト化して固まった文章がほとんどで、現在わたしたちがどう考えるべきかという視点が大きく後退している。

 もちろんそれは、現実の政治がそのように動いているのだから必然だともいえるが、戦争に反対しなかった(できなかった)ことが15年戦争の末路に至ったのだ、という歴史的事実の認識、反省が消えている。

 考えればすぐわかる。そのようになったこと自体が反平和思想である。

 軍事力を持たなければ安全を守られないというが、ただいまの世界的情勢は、軍事力がなかったから戦争になったのではなく、自衛名目の軍事力があったから戦争している。

 戦争が始まれば、即刻、戦争が目的化して、停戦する交渉などはおこなわれない。ロシアとウクライナの戦争は、専制主義対民主主義の大義の区分ができるとしても、反戦平和とまったくつながらない。軍事力によって訪れるのは「墓場の平和」である。これを忘れないでほしい。

 トランプは、まぐれ当たりかどうかは知らないが、たまに正しいことを語る。使わない核兵器をもつ意味はないと言った。然り。使わない武器(軍事力)をもつ意味はないのである。だから、じゃんじゃん戦争するわけだ。

 自分の国の土地を存分に耕さずして、他国の土地を狙うなど、まったく強盗の論理に過ぎない。戦争論者は、生産して、消費する人間の生業を否定し、破壊することが生業になっている。

 平和を語らねばならない。誰かが平和にしてくれるのではなく、自分が平和作りに参加しなければいけない。なぜなら、社会も国も、原点を探れば、私自身が作っているからだ。

 どうもわが社会の気風は、個人が社会・国を作っているのだという原理原則を理解していない人が多すぎるように思う。誰かが平和にしてくれるのではなく、誰かが戦争を引き寄せるのである。

 平和を願い、平和を建設しようとすることと、差別・格差をなくすることは同一基盤である。つまり、人々が本気で福祉国家を建設しようとすれば、必然的に戦争に背を向けることになる。積極的福祉国家こそが、今後の人類の目標でなければならない。