論 考

政治万博の大失敗

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 万博の費用が予算無視で増えた。まだこれからも増える可能性がある。東京五輪で、豆腐の一丁、二丁じゃあるまいしというバカな話があったが、政治主導の大イベントは、開催権利獲得が政治家らの狙いで、開催決定すれば予算は無尽蔵の無責任さがつねに表面化する。

 おカネ問題はわかりやすいか2800万人論の俎上に上がるが、本来のイベントの目的から論じられることがない。

 だれもが、所詮イベントに過ぎないと思っている。ところが、政治家主導によれば、そのイベントは単なる催事ではなく、社会経済、国際的に価値があると宣伝する。

 こんどの万博の場合、観客数は2800万人、159か国参加と喧伝するが、それにしては事前の広がりがまったくない。

 肝心のスローガンは「命輝く 未来社会のデザイン」であるが、関西圏においては動員観客による消費増を期待する事業者の期待があるだけで、人々の関心が高まっているとはいえない。

 そもそも、スローガンを知っている人、関心がある人がいるのだろうか。

 本来、全員こぞっての大イベントは、開催までが大きな勝負である。1970年万博の場合は、「進歩と調和」であった。

 これは少なくとも当時の人々の関心が大きかった。中身はアメリカ館の展示「月の石」であったが、それ以外にもたくさんの参加国に対する興味が高かった。

 いまや、人々は自分の裁量で外国へ行く。切り取って展示されたもので、目を丸くする時代ではない。

 イベントのお客様に対する広報宣伝活動に精出すどころか、各国のパビリオン建設が間に合うかどうかというような話題が評判だ。

 かく考えれば、一発逆転大ホームランが出ればともかく、そんなことはまず不可能だから、政治万博の大失敗と規定するわけだ。