週刊RO通信

学問と政治が依拠するもの

NO.1548

 ちょっと長い前置きになるが、ご容赦ください。この1月末日をもって渋谷区富ヶ谷の事務所を閉じた。37歳で大企業を転げ落ちて以来40年余、この事務所が拠点であった。地下鉄千代田線と小田急の駅が並んでいる。駅から広くない道路を跨げば当事務所である。きわめて便利だ。

 事務所にお出ましくださった方々を思い出す。最年長は120歳、若いところではいま20代である。寛容な家主さん親子2代にとことんお世話になった。28年続いた月例勉強会(8月は休み)の講義原稿は308万字、おでん鍋を囲みながら、歓談深夜まで続いたのが大愉快である。

 わたしにとっては、事務所一角の自机と本棚の岩波文庫が日々勉強の糧である。30代当時は般若心経をちらり読んで、なんだ、これ、わたしが開発実践してきた人生設計の学びと同じじゃないか。などとほざいていたが、40代後半から、もっと勉強しなきゃだめだと思うようになった。

 遅い、なんでもっと早くと悔やみながら、いかにして勉強するか。工業高校機械科を適当に卒業して以来、いわば感性中心主義で、哲学なき思いつきをコピーと勘違いする類。勉強って、どうするんだ。1つは理論的枠組みを身に着けたい。もう1つは学ぶ意味を不動のものにしたい。

 着目したのが岩波文庫である。すでに岩波権威主義だの格式主義批判論があった。しかし、概観すれば、岩波文庫ほど古今東西の学問を網羅している本はない。比較的安くて軽くて、どこでも読める。一時期寝床読書が癖になったが、眠られなくなるので止めた。軽いが中身が重たい。

 まず自分の問題意識をいつも明確にしたい。問題意識がしっかりしていれば選ぶべき本を発見しやすい。数人の読書会で中国六大長編小説を読んだ。『三国志演義』『儒林外史』『金瓶梅』『西遊記』『水滸伝』『紅楼夢』である。長い、登場人物が多い、はじめ戸惑ったが次第に慣れた。

 『論語』『列子』『荘子』などにも手を出した。そこから、古代ギリシャ・ローマの哲学への関心が沸いた。次は、ルネサンス・宗教改革へ。中世へ戻ったり、関連してだいぶ右往左往したが、パスカル、デカルト、カント、ルソーから西洋哲学を走り読み、ヘーゲル、ショーペンハウエル、ニーチェが面白い。ただし残念ながら、西洋哲学はまだ爪楊枝の先程度である。

 次は、明治近代化を軸としてその前を辿ったり、大正、昭和に明治近代化が奇形に成長した経緯を考え、わが民主主義の萌芽を探し、帝国主義の末路としての敗戦を学ぶ。わたしは長く組合活動に関わってきたが、そのコンセプトが民主主義にあることを確信した。

 戦後日本の論壇は、いわばマルクス主義と反マルクス主義の対立のようである。マルクスがはるか古典から哲学を研究し、人間の平等が資本主義下の市民社会では果たせないことに気づいた、すなわち民主主義のさらなる進化発展を求めるなかからマルクス哲学が生まれたことが見失われていた。

 ために対立のための対立が激化した。もちろんマルクス主義側には歴史的誤謬もあったが、反マルクス主義側が、民主主義(大衆のための)の理論的・歴史的王道を実践しなかった(できなかった)ことも悔やまれる。対立のための対立から実った労働戦線統一が力を発揮できないのは必然である。

 わたしは自分の理論的立ち位置をラジカル民主主義としている。ラジカルは急進的ではなく、根源的の意味である。それこそがマルクスの出発点であったし、右だ、左だのレッテルの貼り合いを超越して人間社会の発展を真摯に追求する。これこそ今日的土台でありたい。

 豊富な学びの資料となった岩波文庫のほとんどは古書店街で求めた。わたしの問題意識と現代の岩波文庫編集方針とは異なるから、時代を超えて本を探した。ざっと700冊くらいだろう。こんどの拠点は狭いので本が置けない。幸い、学びの仲間がすべて引き取ってくださった。

 手元に残したのは20冊ほど、うち2冊はマックス・ヴェーバー(1864~1920)の『職業としての学問』『職業としての政治』である。1919年第一次世界大戦に敗北したドイツでの悲憤慷慨の講演である。ラジカル民主主義が、まっとうな精神の学びと思想に依拠することを痛感する。いま、100年後の日本において、深い示唆を与える2冊である。