論 考

「おかしい」と言えない民主主義

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 郵便局に切手を買いにいった。誰も並んでいないので、窓口の人に「ゆうパックを一枚」と言ったら、「番号札を取って下さい」という。何でそんな必要があるとムッとしたが、「そのタブレットからどうぞ」という。銀行でよくあるボタンを押したらすぐ札が機器とちがって、このタブレット方式では、郵便局に来た目的、窓口での目的を選択して、やっと札が出てくる仕組み。

 「なんでこんなことをする必要がある?」と言ったら「タブレット方式になりましたので」という答えが返って来るだけ。不承不承番号札を取って渡したが、すぐ買いたいものが出てくるわけでない。結局「ゆうパックを一枚」と言わねばならないのである。「こんなのサービスの向上なんて言えるのかい。面倒を増やしているだけだろう」と捨て台詞を残したが、相変わらず「タブレット方式になりましたので」と同じ答えしか返ってこなかった。

 17日の読売朝刊を見たら、一面は自民党の政治資金パーティ問題、二面はダイハツの自動車認証試験不正問題、ビッグモーターをめぐる損保ジャパンの取引再開に対する社外調査委員会報告が取り上げられていた。ネット上では松本人志の性加害問題があれやこれやと大変な賑わいを示している。

 どれもこれも当事者が「おかしい」と知りながら、上意下達、利益や効率、慣習優先で、「おかしい」という声を挙げず、事態を悪化させ膿が噴き出して後、事態が明るみに出た。損保ジャパンの問題では「コンプライアンス体制が機能不全」という見出しが躍り、ビッグモーターの不正について、損保ジャヤパンは「リスクを過小に認識し、受動的なものにとどまった」と指摘されたという。コンプライアンス、リスク管理は、保険会社にとって‟命(いのち)“ではないのか? それが不全で、あんな高層ビル、高給取りでは、加入者にとって堪らない。

 おかしいことをおかしいと言えない社会、これは私自身を含め、日本社会に蔓延している深刻な問題である。こういう国が、「民主主義」や「法と秩序」を掲げ、アジアの指導者ぶって、周辺の国々と対立し、緊張状態を作り出している図は、ちゃんちゃらおかしい。

 そんな折、自衛隊幹部による組織的な靖国参拝が報じられた。自衛隊による組織的な参拝は事務次官通達で禁じられており、通達違反で防衛省が調査しているというニュースだ。

 私は一瞬ギョッとした。というのは、戦前の歴史をここ数年勉強してきて、昨今の金権まみれの派閥政治に利益優先の大企業、それを是正できない政党政治を見て、戦前の軍人たちならどう行動するだろうか、と妄想していたからだ。当然、クーデターだろう。もちろん、これは私の妄想であって、今の自衛隊にそんな意思も、実力もないだろう。

 ただ心配なのは、産経新聞が自衛隊幹部の靖国参拝について、「日本を守るために貴い命をささげた戦没者」を追悼する「陸自幹部の参拝は当然だ」と、心情倫理で参拝を容認していることだ。社説は冒頭、「事務次官通達に違反していないか調査中だ」と言及している。社説は一方で通達に違反している可能性にふれながら、それでも賛成だ、当然だといっているのは、全く戦前のメディア同様である。若手将校たちの心情を理解し、無謀なテロやクーデターを許容し、軍国主義の暴走を支持したのだ。武力を持った自衛隊の行動を、法律に優先して、心情で支持することは危険極まりないことだ。

 自民党の政治刷新本部の会合で、安倍派幹部は逃げ回って欠席し、メディアに対して発言する議員はと言えば、二世、三世議員ばかり。野党の自民批判は誠に正論だが、では野党はこの政治不信をどう解消するのかという発言は聞こえてこない。

 たとえ政党政治が無力であったとしても、文民統制の下にある自衛隊の幹部の通達違反を心情的に支持などすべきではない。