論 考

外交官の仕事から踏み出してない?

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 ――オンラインマガジン『ライフビジョン』への投稿をしばらく休ませて頂いていた。ライフワークとなりそうな戦前の中国論、中国報道研究『大正デモクラシー中国論の命運』の執筆が最終局面を迎えていたので、それに集中していた。この間、自民党の政治資金パーティをめぐる裏金作りや台湾総統選挙報道など、気になる問題がいくつもあった。日刊化した『ライフビジョン』の材料収集には事欠かない毎日である。でも、戦前の中国論など長期的なスパンで物事を考えているとこうした時事問題にすぐ飛びつくのはどうかと躊躇してしまう。幸い、家元、奥井礼喜さんがずっとカバーしているので安心して読ませてもらってきた。

 というわけで、ライフワークが2つもあるとは変な話だが、もう1つのライフワーク、ウォルター・リップマンの「『世論』(邦訳岩波文庫)の精読」にも着手し始めた。

 ところが、そんな時、いつも貴重なアドバイスを頂いている中国研究者、矢吹晋先生から文芸春秋2月号の「駐中国大使かく戦えり」の連載記事が送られてきた。何もコメントが付けられていなかったが、昨今のマスコミが報じる中国論にいつも怒りをお示しになっている矢吹先生のこと、怒り心頭に発して言葉にもでなかったのだろうと推察した。

 実はこの問題、100年前に書かれたリップマンの『世論』で指摘されている点でもあるので、久方ぶりだが、ぜひ取り上げてみたいと考えた。

 リップマンはメディア学の開祖ともいわれる。100年前、インターネットはもちろん、テレビさえ登場していない時代だが、すでに新聞が大衆化し、ラジオが普及し始めた時期にあたる。リップマンは人びとがメディアを通して得た情報に基づいて行動し、それが政治にも大きな影響を及ぼす時代、今風にいえば「情報化社会」が到来したと考えた。それは政治の大衆化をもたらすが、もし誤った情報によって政治が動かされたら、かえって民主化を揺るがす結果となると考えた。リップマンは第1次世界大戦中、アメリカ軍の宣伝マンとして活動した経験を踏まえ、情報やメディアによって誤導される社会に対して危機感を持ち、情報やメディアの問題点、その制約を徹底的に分析し、「世論」形成のあり方を同書で明かにした。

 例えばこんなことを言っている。

 「政治とふつう呼ばれているものにおいても、あるいは産業と呼ばれているものにおいても、選出基盤のいかんによらず、決定を下すべき人びとに見えない諸事実をはっきり認識させることのできる独立した専門組織がなければ、代議制に基づく統治形態がうまく機能することは不可能である」

 「そのことによってのみ、権力・組織の分散も可能であろうし、われわれ1人ひとりがあらゆる公共の事柄について有効な意見をもっていなければいけないという、できるはずもないフィクションから脱出することができるのだ」

 「報道界の問題が混乱しているのは、その批判者も擁護者もともに、新聞がこうしたフィクションを実現し、民主主義理論の中で予見されなかったものすべての埋め合わせすることを期待しているからだ。民主主義者たちは、新聞こそ自分たちの傷を治療する万能薬だと考えている。それにもかかわらずニュースの性格やジャーナリズムの経済基盤を分析すると、新聞は世論を組織する手段として不完全だということを否応なくさらけ出し、多かれ少なかれその事実を強調すらしていることがわかるように思われる。私は、もし世論が健全に機能すべきだとするなら、世論によって新聞は作られねばならないと、結論する」

 最後の「世論によって新聞は作られねばならない」という結論は、訳者の掛川トミ子さんの超訳で、原文に当って解釈を加えるとこうなる。「新聞のために(独立した専門組織によって)世論が組織されなければならない」である。要するにリップマンはメディアという制約、欠陥、問題点の多い機関が、客観的、中立の情報を集めることも、公正な世論を形成することも不可能であり、まず政治から独立した専門的な情報組織による情報収集が大切だと警告しているのだ。(ちなみに今や日本の新聞はほとんど公的機関が集めた情報をもとに発行されている)

 さて、問題の外交官、国際報道のあり方だが、リップマンは「外交官」を「打ち込まれたくさび」として、派遣された国の情報を集める専門的な情報官の役割を求めている。

 リップマンは優れた外交とは「情報収集と政策管理の分離がもっとも完全におこなわれている場合の外交活動である」という。アメリカ政府は国務省に極東部を設け、大使をはじめ数多くの外交官、特務機関員を送り込んでいるが、「専門的な領域にあかるくない長官たちが彼らに期待しているのは、アメリカの立場を正当化するような理路整然とした論議などではまったくない。長官たちが要求しているのは、極東部のその道の専門家たちが自分のデスクに極東そのものをもってくることである。あたかも長官自身が極東そのものと接触しているかのように、関連するあらゆる要素を添えてもってくることを要求する」

 「彼は専門家たちが日本の中国政策に好意的であるかどうかを知りたいとは思わぬ。彼が知りたいのは、中国、日本、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアのさまざまな階層の人たちがそれについてどのような考えをもっているのか、そう考えることによって何をしようとしているのか、である」と、あくまで派遣された国の情報をしっかり集めて報告することが外交活動の基本だとリップマンは指摘するのである。

 その上でリップマンは外交官の成功例、失敗例を挙げる。成功例は第一次大戦中のイギリスの外交官で、「一般に広がっていた好戦気分に非常にうまく水をさす人たちがほとんど絶えることがなかった」とし、「彼らは賛成とか反対とか、好きな国とか大嫌いな国とかについての長口舌をやめ、大げさな弁説は胸のうちにしまっておいた。そうした一切は政治指導者に任せておいた」という。

 これに対しあるアメリカ大使は「自分は母国の人びとをふるい立たせるような報告しかワシントンに送っていない」と公言し、「自分で方針を決め、判断にちょっかいを出した」という。ここでリップマンはそれまでの『世論』の重要な論点を持ち出す。「そんな人間のいるところには、またもや例の問題が生じてくるからだ。つまり、あまりに判断が気になりだすと、自分が見たいと思うものだけを見るようになり、そうなれば自分がそこで見なければならないものを見なくなる」。それは偏見や差別そして対立の温床となる。

 こうしたリップマンの指摘は外交官だけでなく、国際報道を担当する記者についても言えることではないだろうか。海外の情報を取材する記者が、日本の大使から話を聞いてどうする。現地の声に耳を傾けることが先だろう。

 文芸春秋の記事は連載だそうで、第1回はタイトル通り、中国とかく戦ったという手柄話に終始している。大使の語った内容の詳しくは図書館ででも読んでいただきたい。そのさわりはネットで読むこともできる。

 100年前のリップマンの指摘が全てあるというつもりは毛頭ない。が、リップマンのような見方を多少とも踏まえれば、こんな手放しの長口舌は恥ずかしくなるのではないか。