筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
来年の米国大統領選挙が取り沙汰される時期になった。目下は、相変わらずバイデン対トランプの構図で、失礼ながら面白くない。
トランプ氏は、失言ではなく、平気で嘘をつくし、自分が墓穴を掘っておいて魔女狩りだと居直る、品位にない言葉の手品師である。
「常識的には」間違った政治家であるから、そもそも、人々が歯牙にもかけないのが順当なのだが、そうならない。なぜか?
1つは、表現方法はともかく、人々が求めている政治の物語を打ち出すことに成功している。
乱暴で無思慮な発言が、逆に、強いリーダー像として受け止められている。あけすけさが、親近感をもたれている。
つまり、間違った政治家だが、政治を大衆運動に転換することに成功している。最近あまり言われないが、いわゆるエスタブリッシュメントに対する反発が震源地である。
もちろん、トランプ氏もエスタブリッシュメントの1人であり、いわば経歴詐偽をやっているのだが、そこにライトが当たらない。
程度の差があっても、バイデン氏も権威主義をオブラートでくるんでいるだけじゃないかという人々の厳しい視線に対して、民主主義を標榜する陣営が、なにか新鮮な衝撃を発揮できるか。
この状態でいくと、トランプ氏が勝つであろう。バイデン民主主義対トランプ権威主義の構図において、民主主義が精彩を放っていない。
世界を舞台にバイデン氏が、さすがデモクラットという評価を得られない現状では権威主義批判が力をもっていない。