くらす発見

筆者 難波武(なんば・たけし)

 夜も更けて眠られない耳に、大型オートバイらしい、プィンプィン、ブォーッという、始動と一気に加速したら音が聞こえた。かなり遠くらしいのでやかましくはないが、急発進したオートバイの後部を見たような気がした。

 なにかに怒ったような、怒りを切り捨て、サラバと新天地へ向かう気迫であろうか。しかし、大型オートバイは、急発進急加速が似合わない。広々とした果てしない道を悠然と疾走するのがふさわしい。

 なにを怒っているのだろうか。真夜中の怒りはあまりよろしくない。そんなことを半分眠った頭で考えているうちに眠ったらしい。

 突然、ガタンと音がした。小さなバイクの音が去る。朝刊が届いた。2時半になったばかり。いつもはほぼ3時配達である。人が代わったらしい。いつもはスッとドアポケットに差し込む音がする。広告がかなり重そうだ。

 いつも配達する人の気配りを感じてすがすがしい。足音はほとんど聞こえない。スッというのも周囲が静かで、目覚めるときが近づいているから聞こえるのであろう。

 木曽福島の旅館になんどか泊まった。ずっと昔は御嶽信仰の人たちが泊まった。裏庭には、ときどきサルの群れが来る。走り回るとき落葉が音を立てそうなものだが、記憶がない。表側は小さな川があって、急流の音が聞こえる。慣れてしまって、なにかの拍子に山の音を感じるだけであった。

 朝刊を見ると、本日は文化の日だ。あ、そうか。日本国憲法公布を記念した。敗戦までは天長節(明治天皇誕生日)であったが、1948年、――自由と平和を愛し、文化をすすめる――という意味の祝日とした。制定に際しては、とりわけ戦争放棄を忘れまいという意義が強調された。ただいま内外の情勢を眺めると極めて違和感を禁じえない。

 自分は、文化と言えるほどの生き方をしてこなかったが、今朝は、ふと、音に関心が向いた。せっかくの文化の日である。見るにせよ、聞くにせよ、慣れてしまえばなにも気づかない。騒音だらけの世界に生きて、音の大切さを忘れていたような気がする。