論 考

進まない日本のデジタル化

筆者 司高志(つかさ・たかし)

 前回の本欄では、我が国には世界を獲りに行く発想がないと述べた。おりから、首相が珍しく世界を目指す方向性の話をしたので、期待しつつ記事を読んだが、残念な内容だった。その内容とは――

 「生成AI、日本がルール作り主導 首相、国際会議で講演」(10/1 11:00 共同通信)――岸田文雄首相は10月1日、京都市で開かれた「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」で講演した。生成AI(人工知能)に関し「日本が主導して国際ルール作りを進めている」と説明。技術革新を推進すると同時に「社会への負の影響や倫理的な問題に真摯に向き合う」と強調した。――

 ということなのだが、いま我が国が力を入れるのは、国際ルール作りではないと思われる。AIの進化は止められないし、どのような進化が起きるのかもわからないので、変化に即応できるような社内体制や研究体制が必要なのである。

 軍事やがん研究、遺伝子研究などちょっとしたきっかけで、莫大な富を生むような結果が導き出されるかもしれない。そのような状況を察知し、対応が遅れないようにすることが重要である。いつの間にか基本の特許は全部抑えられているというような状況が出現しないとも限らない。

 仮にこの分野に関して日本が国際ルールを作ったところで、言うことを聞く国などありはしまい。むしろ逆効果で、そういう危険性があるならそこを拡張して一発当ててみようかという方向で利用されそうな気がする。

 さて、では本題のなぜ日本のデジタル化が進まないのかについて考えてみる。ちまたでは、DXなどと言われているが、一向に進んでいるという実感がない。

 DXとは、Digital Transformationの略であるが、TransformationがXで表記され、DXと略記される。DXには、デジタルにより、仕事や生活をよい方に変えようという深い意味があるようだが、何かしっくりこないので、本欄では、単にデジタル化としておく。

 なぜデジタル化が進まないのか?

 まず原因の一番目に挙げられるのが、官庁である。役所ほど非効率な組織はない。1つの施策を決めるために、上司や上の部署で何度も修正が入り、逆の施策になったり、元に戻ったりを繰り返しながら、やっとのことで決まる。具体的な施策なら補助金を出したりして曲がりなりにも進んでいくものだが、そもそもデジタルと最も縁遠い仕事をしている官庁に、補助金等でまともに主導していける能力などありはしない。

 デジタル庁の親分を見ていても、紙ならだめで、電子媒体ならOKというくらいの判断しかできない。マイナ保険証の対応を見ていればよくわかるだろう。保険証が紙ならだめで、デジタルならOKというようだが、使い勝手はすこぶる悪い。仕事の本質がわかっていないから、しょうがないといえばしょうがない。しかも役人も親分の暴走が止められない。

 次が、日本全体の出世システムである。政治家も役所も企業も似たようなものと思う。組織をよい方向に導くリーダーが選ばれているわけではないのが、日本の出世システムだ。

 現在の日本で出世しようとすれば、組織内政治をフル活用する必要がある。つきあいや多数派工作など、あるいは株主受けなどもあるかもしれない。ともかく、仕事の実力とか組織を導くとか、そのような視点よりは、組織内人間関係が重視される。こうして選ばれた経営者あるいは管理職は、実質的にはポンコツで、日本の組織は劣化していくばかりである。

 またこういう人に限ってデジタルが嫌いである。自分がやらないで人に命令してやらせたりするから、良いものができるわけがない。高い金を払ってコンサルに丸投げしても、いい結果は出ない。

 DXという言葉だけはよく聞くが、その内容は、毎月課金できるソフトの使用料くらいではないかと言いたくなる。

 省みれば、コンピューターのダウンサイジングに乗り遅れた。携帯電話の普及もしかり。かつて、日本はものまねが巧みで、他国が開発したものをいち早く製品化して売るのがうまいと皮肉交じりに言われたが、ものまねのスピードも落ちた。

 明治近代化以来、追い付き追い越せ路線でやってきて、1980年代にはトップグループに並んだと自負したのであるが、自負だけで実力が養成されていなかったのではなかろうか。政治家の人気取り的思い付きでなんとかなるようなことではない。