週刊RO通信

イスラエルは譲歩すべき

NO.1533

 イスラエル人の国をパレスチナに建設しようという運動をシオニズム(Zionism)という。これは19世紀に始まった。その国はエルサレムがある地でなければならないという。1882年には、3万5千人がパレスチナへ異動した。あらゆる地で過酷な差別に耐えたユダヤ人が自分自身の国を持ちたいという気持ちは大きなエネルギーをつくり出した。

 シオニズムには2つの流れがあるようだ。1つは国家建設をしゃにむに推進する立場。もう1つは、自分たちの国がほしくても、パレスチナ人の土地を奪ったのは神の10戒に反する。そのため本来寛大なユダヤ教徒の姿をシオニストが侮辱したと批判する。この人々は現在もイスラエル国内で、パレスチナ解放と反シオニズム活動(超正統派)を展開しているそうだ。

 旧約聖書(ユダヤでは立法)は、雄渾壮大な「創世記」に始まる。神が7日間で世界を創った。アダムとイブの楽園、人間の堕落による楽園追放、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔と、物語が展開する。

 それから数百年後、ユダヤ人はエジプトに住むが、奴隷として迫害された。神の召命をうけたモーゼが人々を率いてエジプトを脱出する。これが「出エジプト記」である。追っ手を避けるために、モーゼは海を2つに割る。それからシナイ山で、モーゼは神と人間の契約として10戒を授かる。これは、ユダヤ教の原点とされる戒律である。

 10戒――①主が唯一の神である、②偶像をつくってはならない、③神の名をみだりに唱えてはならない、④安息日を守る、⑤父母を敬う、⑥殺すなかれ、⑦姦淫してはならぬ、⑧盗むな、⑨偽証するな、⑩隣人の家・財産を盗むな。超正統派の指摘は正しいし、そうであればいまの惨状はない。

 イスラエル国ができるまで、さらにその後も入り組んだ話が多いが、煎じ詰めれば、国を切望するイスラエル人と、パレスチナの人々と、仲介国ときちんとした話し合いが成立していない。ユダヤ人はどんどんパレスチナへ移住してくる。移住したユダヤ人は、1920年代には、ユダヤの機関を設立し、自警組織をつくり、ヘブライ大学を創設した。実力で国家体制を整えた。

 1929年には、ユダヤ人コミュニティが大きくなって脅威に感じたアラブ人がユダヤ人を襲撃して、双方100人以上が死亡する大惨事が発生した。(嘆きの壁事件)そこで、イギリスは、ユダヤ移民と土地購入を再検討しようとしたが、ユダヤ人の反発をうけて撤回してしまった。

 1939年にもイギリスが、移民と土地売買に制限をかけることを提案したが、アラブ側は信頼せず、ユダヤ側はもちろん拒否した。ユダヤ人は、さらに武装組織を強化することに専念した。

 第二次世界大戦で、ナチによるホロコーストは全世界のユダヤ人に大きな危機感を抱かせた。その帰結は、パレスチナへの緊急避難であった。出エジプト記の現代版というべきか、今度は「入パレスチナ」という次第である。

 イギリスのパレスチナ委任統治の最終日、1948年5月14日、イスラエルは独立を宣言した。翌15日、アラブ軍はパレスチナへ侵攻した。これが第一次中東戦争で、以来、パレスチナの地は一貫して紛争状態が続いている。1949年5月11日、イスラエルは国連加盟を果たした。パレスチナはいまも果たせない。この間、1973年の第四次まで中東戦争が勃発した。

 1978年にはキャンプデービッド合意、1993年には、オスロ合意がなされ、PLO(パレスチナ)とイスラエルの相互承認が成立した。

 2016年10月23日国連安保理は、イスラエルのパレスチナ占領地への入植活動を国際法違反とし、入植活動の中止を求めたが、アメリカが棄権し、もちろんイスラエルは入植活動を止めない。

 第一次中東戦争開始時に、イスラエル兵力は3万人だったが、1942年の休戦協定時には、11万人に増加した。いまや、イスラエルは典型的な軍事国家として植民地政策を推進している。イスラエルが優越した軍事力で、パレスチナの人々を日々追い込んでいることは厳然たる事実である。

 イスラエルの自衛権をそのまま認めると、結局自衛権とは強い者勝ちでしかない。アメリカがイスラエルの自衛権を盾にする限り、ガザの戦争はさらに拡大する危惧が大きい。イスラエルの譲歩こそが鍵である。