週刊RO通信

信仰の自由と教団体制

NO.1532

 あまりなじめない町の機械工場に働く15歳の少年は、身体だけでなく、頭の芯まで疲れた気持ちを抱えて、師走の街をどこへ行くでもなく歩いていた。ふと気づけば、やさしく、清らかな音色が耳に入ってきた。少年は、その音楽が漏れている建物へ誘われるように入っていった。

 わたしの親よりも年長のかつての少年Tさんと、わたしは親友になった。この体験談はなんども聞いたが、罰当たり的衆生のわたしにも静かな感動を呼んで忘れられない。少年が初めて耳にしたのは讃美歌である。彼はそのまま入信し、50年後地域のプロテスタント教会の長老になった。

 Tさんの生涯は、日々聖書と音楽、読書家、なにごとに対しても純真な好奇心で勉強し、アマチュア作家として小説も書いた。精神をどこまでも高めていく気迫が、自然に伝わるような人間性であった。いわく、「暮らしは低く、思いは高く」。わたしは心を洗われるとしばしば思った。

 傍目では宗教は胡散臭いものだ。これがTさんの持論であった。無神論が圧倒的な日本人の場合、信仰の道を辿る人は、いろんな苦悩を抱えている場合が多い。ちょっとしたカウンセリングで解決するような問題ではない。自分の苦悩を根源的に自身で解決したいと願うのである。

 だから、信仰仲間の結びつきは精神的であり、現世ご利益を期待するようなものではない。わたしは讃美歌の美しさがそれだと思う。信仰人は、浄化の高みへ向かおうとするのであり、その清らかでやさしい精神の営みが、周辺の人にも伝わるのだろう。Tさんの記憶はいつも心地よい。

 宗教のいかがわしさなるものは枚挙にいとまがない。あまり身近な事例を見ていると、理解するよりなおさら混沌とする感があるので、少し、場面転換して考えてみよう。

 16世紀、ルターの宗教改革は誰でも知っている。直接的には教会が免罪符を乱売したことに対する抗議である。ルター(1483~1546)は、人が神に救われるのは信仰の積み重ねによってであり、功績や、巨額の寄進によるのではないとして、カトリック教会に95カ条の論題を発表した。彼は宗教改革の端緒を開いたが、教皇の破門をうけ、プロテスタント教会を開いた。

 教会の強権横暴は13世紀の異端審問制度に始まる。異端者の摘発と処罰のために設けたのであり、信仰上の切実な問題を昇華させようとするのではなく、教会組織体制維持のために異論を封じるのが狙いである。さらには魔女狩りも悪名高い。魔女と決め付けられると焚刑(火あぶり)に処せられる。しかも人々の目の前で公開処刑するのだから、宗教家のすることではない。

 また、宗教改革の後は、宗派による流血と破壊の戦争が続いた。ルター自身が率先して戦争を繰り広げたのだから、自身が主張した信仰の積み重ねなど吹き飛んでいる。

 しかし、にもかかわらず、キリスト教は自滅せず生き残った。それを支えたのは信仰であろうか? わたしは、教団体制なるものだと言いたい。旧統一教会では文鮮明が、統一教会の力は教会と勝共だと語ったが、まさしく、確固たる教団体制こそが、宗教の生き残りの条件だと認識していた。

 話が飛躍するが、これは戦争がなくならず、いつまでも盛大に繰り返されることと同じである。個人においては、よほどの場合でないかぎり戦争を肯定しない。誰が戦争するのか、国家である。国家という体制、官僚体制である。宗教の生き残りも強固な教団体制にこそある。組織者としての文鮮明のセンスは正しいといえる。教団官僚が信仰心を持っているかどうか。持つとすれば、まず間違いなくお金教にあらずや。

 教団は宗教団体なのに組織に階級を持ち込む。組織内出世で信者の関心を釣るわけだ。無茶な献金も、霊感商法も信仰から生み出されたのではない。教団体制維持のための小細工に過ぎない。小細工に乗せられて走り回る人は、いったい何を信仰しているのだろうか。いわく、教団信仰という幻想である。

 自民党が教団との腐れ縁にフタをして正義面するのは許せない。人々をカモにした教団からさらにお裾分けをいただく。なんとも見下げ果てた所業である。今般の解散命令請求のターゲットは宗教改革当時の真似事を生業とする、教団に向けられたものであり、信仰の自由とはまったく関係がない。