週刊RO通信

丁寧に説明する―の不誠実

NO.1530

 このところ電話でやりとりすることが多かった。そのたまたまの体験から気づいたので書きたい。

 昔は、役所窓口といえば、冷たい・融通が利かない・たらい回し、といった不評紛々であった。あるとき、役所との関係が深い建築業で働く20代の友人に、役所との付き合いを円滑にするにはどうするか尋ねた。「それは、できるだけ付き合わないようにすることですよ」。見事なユーモア回答だった。

 いまは役所への電話で質問要望すると、実に的確に応対されるので、面倒な事態が円滑に処理できて、あとにすがすがしさが残っている。役所窓口でかなり面倒な書類に記入したこともあるが、フロントの遊軍職員が気配りしてサポートされるので、おおいに気持ちがよかった。

 むしろ問題は民間企業にありだ。工事付きの商品を購入するために電話番号を探すが、なかなか見つからない。インターネットでの手続きが主流で、電話サービスは徹底的に手薄である。電話がつながると機械音声が流れて要件を仕分けされるのだが、指示の番号を押すと、「ただいま大変混みあっていますのでお待ちください」というのは上等で、「おかけ直し下さい」で自動的に切れるのも少なくない。人が人の音声に出会うまでがひと苦労である。

 相手はほとんどマニュアルで説明するらしい。というのは質問すると、とたんにギクシャクして、会話が進みにくい。ところが、言葉遣いだけは、まどろっこしいくらいバカ丁寧で、○○でございますので、お客様には○○のように対処していただきたいのでございます、という調子。これが質問で一挙にギクシャクして、黙ってこちらの言う通りにしていただきたいのでございますという本音が聞こえるみたいである。質問に対する知識が少ないのと、第一に質問を聞く態度が薄い。成約寸前だったが、わたしはキャンセルした。こんなロボット人間が電話応対するような会社の商品が良質のわけがない。

 このケースでは、電話のやりとりが30分以上かかった。相手は、お前が質問するからだと思っただろう。こちらは質問にきちんと答えてもらえないので欲求不満が残った。どうやら、彼らは件数をこなすのが成績に反映するらしい。これでは、飛込電話で宣伝をご連絡ですと偽る連中と本質的に同じだ。顔が見えない電話だからこそ、相互にラポールを架けねばならない。こんな基本を弁えず、「サービス向上のために電話を録音させていただきます」などとやられると、もはや、欺瞞的体質も隠しようがない。

 日本は世界に誇るサービス大国のはずであった。どこからこんなトンチキになったのか知らないが、そういえば丁寧に説明するというのは政治家の常套語でもある。岸田氏は、たびたび丁寧にお話になっているつもりらしいが、国民諸兄姉におかれては、そうは思えないので欲求不満が増える。

 理屈をいえば、「丁寧に説明する」という言葉には、大きく2つの意味が含まれている。1つは、なぜ・なんのために丁寧に説明するのか。つまり目的(content)である。もう1つは、丁寧に説明する態度・過程(process)である。両者の違いはすぐにわかる。

 たとえば岸田氏に丁寧な説明を求めるのは、説明の過程が「ございます」調だとか、詰問されても丁寧な態度を崩さないということではない。国民は、過程の態度を求めていない。求めているのは目的である。すなわち、疑問・質問に対して、はぐらかしたり、無視したりせず、きっちりと真正面から答えてほしいのである。

 そこで考える。丁寧に説明するという言葉には目的と態度・過程という違いがあることをわかっている人と、違いがわからない人の二通りありそうだ。まさか、岸田氏らが、2つの違いに気づかないほどの凡才ではなかろう。わかっていて、意図的に目的を無視して丁寧な説明をしているのである。時間制限のある議会において、これをおこなうのが、悪しき官僚的答弁である。

 絶対にシッポをつかまさない。もちろん、そんな本音がわからぬ人は少ない。わかっていることを知りつつ、核心を避けて丁寧な説明を繰り返すのは、量によって質をごまかすわけで、確信犯的悪辣にして不誠実な態度である。かくして、言葉の信頼感がどんどん薄れる。人間同士の関係も希薄になる。こんな気風を作り出しているのが政治の中枢なのである。