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自己肯定感について

奥井禮喜
おしゃべりの拡散

 さいきん、自己肯定感という言葉をしばしば見聞きする。たまたま朝日新聞が企画ものとして連載しているが、隔靴掻痒、きわめて感性的に扱われている。せっかくの企画だが、これという内容にお目にかからない。余計なお節介ではあるが、メディアの悪習慣として、言葉の新奇性(?)に飛びついてかき回し、拡散させるだけ拡散して、尻切れトンボになりやすい。拡散するのも必要だが、どこかで収斂させなければ、面白がって騒動しただけになってしまう。

 新奇性と書いたが、この言葉は全然新しくも珍しくもない。1990年代から使われるようになったというが、自己肯定感という言葉そのものは使われなくても、1人ひとりが持っていて当たり前、自己肯定感がないというのはおかしい。

 なぜならば――人はだれでも自分の人生(物語)を生きている。これはもちろん比喩的表現であるが、生きていること自体が自分自身の物語である。その物語を意識しているか、していないか。肯定するか、肯定しないか。肯定の反対は否定であるが、まったく否定して生きるのはよほどの大人物である。否定が切羽詰まれば生きてはいられないだろう。

 自己肯定感の強い子は成績がよく、そうでない子は低いという俗説も気になる。果たして自己肯定感が強いから成績がよいのだろうか。自己肯定感が強くても成績がよいとは限らない。成績の良い子が、自己肯定感が強くなるのはうなずける。自分のやることがうまく運ぶとき、人はだれでも自信を膨らませるからだ。この場合、成績が原因で自己肯定感は結果だろう。

否定から価値を値生み出す

 島尾敏雄(1917~1986)という作家は、自分の作品を慢性下痢症の体質の人間の文学だと称した。開高健(1930~1989)は島尾作品について、「絶望する気力も尽きてくる。絶望するということはある種の意力を行使することだが、島尾さんは読者から最後の幻覚まで奪ってしまう」と感嘆した。

 島尾は語った。(要旨)「自分は絶望しない。(小説を通して)一切のものが否定され、そして肯定されるような主張をしたい。現実は文学を必要としない。小説など不要だ。それをわたしは自分の小説で実証する。そのためにおよそくだらないものを書くのです」。小説家が小説を否定する。換言すれば、真に必要な小説とはなにか、という大きな挑戦である。

 彼は魚雷特攻隊であったが敗戦2日前の出撃待機で出撃命令が出されず敗戦を迎えた。それからの自分の精神的蹉跌から、とことん人間と人生を見つめる作家として書き続けた。作品に登場する本人は、どうみても自己肯定感を否定しているとしか見えない。自己肯定感を否定しつつ、文学の存在を否定しようと企てる。文学、すなわち物語、人生を否定する作品を書こうとする。

 ここには、自己肯定感がどうのこうのと御託を並べるひ弱さは感じられない。それどころか、自己肯定感があるというが、その実態はなんなんだいと、匕首を突き付けてくるわけだ。

 島尾は『離島の幸福』で、「この国の眠くなるような自然と人間の歴史の単一さには絶望的な毒薬が含まれている」とし、しかし、(沖縄が)「いまだ生命の驚きに対するみずみずしい感覚を残している」と主張する。

 かれが絶望するのは、――日本国中どこを歩いても、同じような顔つきと、ちょっと耳を傾ければすぐわかってしまうような一本調子の言葉しか、ないということは、すべてのものを停滞させ腐らせてしまわずにはおかない。そこでは鉄面皮なおせっかいと人々をおさえつけることだけが幅をきかす。おそろしく不愉快なひとりよがりと俗物根性。違ったものがぶつかり合って、お互いに骨を太くし、豊かな肉をつけるという張り合いから、われわれは見離されていた。――ということに尽きる。

 この文章には、自己肯定感などを振り回して見当違いのおしゃべりをしている事態が真正面から照射されている。と、わたしは共感する。

形式社会の形式人間

 心理学者は、自己肯定感について、「あるがままの自分の存在そのものを肯定すること」と解説してくれる。自己肯定感論議は、その定義(?)に問題があるのではない。実は、個人と社会の関係が本丸である。

 たとえば1人ひとりが自己肯定感を持つとは、いわゆる個性的であり、個性を発揮していることである。しかし、日本的湿度の高い風土においては、個性的であることよりも協調的であれというベクトルがつねに支配している。だから、周囲の関係性で人々はいつも疲れる。お疲れさまという挨拶が朝から交わされる所以だ。お互いがお疲れを作り出しているのではないか、とは誰も考えない。

 実際、あいさつ言葉は便利であって、だれもが意味を考えないという傾向にある。たとえば不祥事で企業のトップが謝罪するが、「みなさまに多大のご迷惑とご心配をおかけして申し訳ございません」というのが定型パターンである。お詫びの誠心誠意がこもっているかいないかなど問題ではない。これを言えば万事了解である。まさに形式が支配している。

 あるがままの自分の存在そのものを肯定する――というのは客観的定義であり、現実にそれがいかなる扱いをうけるかということを度外視している。しかも、心理学者は、だれもが自己肯定感を高めましょうというのだから救われない。自己肯定感を高めることに不寛容な社会的気風があることが大問題なのである。

自己否定論

 さて、自己肯定感論者と表面的には異なる見解だが、自己否定する人は人間としての芯がしっかりしている。

 自己否定するには否定するべき自己が必要であり、それを否定したのちにめざすべき自己像がある。自己否定とは、いままでの自己を否定することによって、さらなる高みへ自己を引き上げる心的活動である。

 逆に自己肯定感が弱い場合、おおかたは自己否定もしない。つまり、否定するべき(肯定していないにもかかわらず)なにかがないのである。島尾の場合、とことん自己を否定するべく挑戦した。表面的には自己肯定感が弱いように見えるかもしれないが、否定するべき自己がしたたかに根を張っている。こいつを叩かねば前へ進めない。

自我なるもの

 自己肯定感などを議論するには、日本人が自己というものをいかに扱っているかから出発しなければならない。

 これが「自我」である。自我なる概念は西洋のものである。15世紀から17世紀に自我が発見された。朝永三十郎(1871~1951)『近世における「我」の自覚史』(1916)で、欧州の15~17世紀は文化の一大革新期であったと指摘している。ギリシャ精神の真価発見、地理上の発見、科学の発見の3つは大変な発見である。そして、それ以上に、我の発見=自己意識の明確化・深化こそが大発見だと展開した。

 当時、同書は学生中心にかなり読まれたそうである。これが、社会的に根を張らなかったのはきわめてもったいなかった。

 自我の発見から、――人間は自分がなろうとするものになる――という一見風采の上がらない地味な表現が登場した。これこそが、西洋哲学の基盤的エネルギーである。この言葉、哲学がどうのこうのと言わずとも、否定しがたいだろう。

 自分が成長することは、現状の自分の否定であり、そこから脱皮する意義である。現状肯定ばかりでは成長できない。この理屈も理解できるだろう。

 つまり、自我の発見から人は自分が自分を目的意識的に成長することを発見したわけだ。自分の人生は自分がつくっていくしかない。だれかが上げ膳据え膳で面倒見てくれたのは子ども時代である。子どもは、自分の人生をつくるのが自分自身だという真理を知らない。それに気づいたのは自分自身の自我を発見したからである。

 三木清(1897~1945)は、パスカルの研究を通じて、――人間は運動体である――ことに気づいた。なるほど、自分という人間は、日々なにかを行動しているから自分を形成している。日々の自分の行動が自分という人間をつくっている。運動するためには、なにをするべきか思索する。思索するのは自分自身、その核心が自我である。

自由に生きるという意味

 人は自分のできることをやる。あるいは、したいことをする。それらが運動体としての日々の活動であり、長期的に見ると、自分という人間をつくっている。人間の尊厳のいちばんの大事は、自分が自由に生きることである。なにかに束縛されたり、統御されては自由ではない。まさに、自分ができること・したいことをするのが自由であって、できることが増え、したいことが増えるにしたがって、自由はさらに自由に羽ばたくのであろう。

 自己肯定感が弱い、あるいは強いなどと、評論していてもたいした異議はない。1人ひとりが自分の我と対峙することから出発せねばならない。カント(1724~1804)が、認識は対象の模写ではなく、主観が感覚の所与を秩序づけることによって成立する(コペルニクス的展開)としたのは、我の発見の集大成といってもよかろう。

 わたしが最大の懸念をするのは、日本人は、あまりにも自我を大切に考えないために、認識が対象の模写の世界に止まっているのではないか。さらに、認識が社会的関係性を最優先しているために、自由に生きるという意義を理解できないのではないか。

 敗戦後、日本は文化国家に再生するはずであった。しかし、いまだ欧州的近世の扉を開け放っていないようにも見える。日本は、ひょっとして中世的文化なんだろうか?


奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人