週刊RO通信

試される日本外交

NO.1525

 汚染水の処理水の海洋放出が開始された。国内のまとまった反発はなんとか抑え込んだとしても、外国はそうはいかない。日本産水産物最大の輸出先である中国・香港が全面禁輸に出た。日本の新聞も一斉に驚いたのか(?)、8月26日の社説は、朝日「中国の禁輸 筋が通らぬ威圧をやめよ」、読売「水産物の禁輸 中国は不当な措置を撤回せよ」、毎日「中国が水産物全面禁輸 即時撤回へ外交の強化を」と、大同小異である。

 IAEA(国際原子力機関)との関係について、朝日「IAEAと協力して処理水対応を進めてきた」。読売「IAEAは、人や環境への放射線の影響を『無視できる』との報告書を出した。毎日「IAEAは包括報告書で『国際的な基準に合致する』と処理水の安全性にお墨付きを与えている」とした。

 微妙なニュアンスの違いがあるが、いずれも、IAEAの保証を押し出している。しかしIAEAが、すべてのステークホルダーとの協議をせよと指摘したことについては触れていない。IAEAは、海洋放出という政治決定を支持する判断を下したわけではない。IAEAにもたれかかり過ぎだ。

 読売は、「台湾問題や半導体関連の輸出規制などで、米国と連携を強める日本に対し、揺さぶりをかけようとする意図がうかがえる」、毎日は、「半導体関連の輸出規制や台湾問題を巡り、日中関係がぎくしゃくする中、今回の禁輸を外交カードとして使っていると受け取られても仕方あるまい」と、いずれも奥歯にものが挟まったようだ。

 かつて中国には瓶の蓋論というのがあった。アメリカが瓶の蓋であり、瓶のなかが少々ごたついても、中米関係が安定すれば、中日関係は必然的に安定するという。ただし、この期待は安倍内閣当時から消えたであろう。

 とくに岸田氏は、アメリカに歩調を合わせるだけではなく、むしろ積極的に日本がリーダーシップをとる姿勢である。米中対立は、単に貿易上の対立だけではなく、世界を二分する構図へと踏み出している。中国を完全に敵扱いしているのは明らかである。そのお先棒を担いでいるのが岸田氏であるから、中国が、ならばこちらも遠慮はしないと出ても不思議ではない。

 1972年の日中国交回復は、保守ごりごりの自民党が胸襟を開いたという雰囲気があった。鄧小平の時代というべき1990年代後半までは、少々のことはあっても、なんとか日中関係が向上するという期待があったが、以後、時間が過ぎるにしたがってガタガタになった。

 尖閣問題は、直接的には石原某の暴挙に始まったが、日中国交回復時の約束を踏みにじったのは、まちがいなく日本である。中国から見れば、日本はいつまでたっても15年戦争を反省していないし、むしろ、あの時代の気風に逆流しつつあると分析しているだろう。

 朝日新聞によれば、農水省の幹部が、「(まさか)ここまでやるとは!」とこぼしたというが、まさか正気で想定外だというのであれば、いかに直接外交窓口でなくても、日本の外交感覚はどうなっているのかと言わざるを得ない。おそらく海洋放出の国民的批判の矛先を変える狙いだろうが、こんな内向きの発想でやってもらったのでは安全保障どころの話ではない。

 だいたいわが国の外交は、全面的にアメリカしか見ていない。政治家・官僚らが、いかに国家主義を気取り、国家・国民のためにと大声疾呼しても、アメリカ追従が強すぎる。これは、おおかたの国民が知悉している。GHQの占領時代であっても、政府は主体性を発揮するためにもっと尽力した。岸田氏は、自分からお先棒担ぎを買って出るようにしか見えない。

 毎日は、「(中国には)対日不信感があるとの指摘もある」と遠慮がちに書くが、中国の対日不信感は十分すぎるくらいある。新聞までが、このように甘い認識をしているのであれば、まことに危うい。

 公明党代表団の28日~30日の訪中について、中国は「当面の日中関係の情況にかんがみ、適切なタイミングでない」と伝えてきた。政府は9月ASEANでの日中首脳会談も見通せない。毅然とした態度で臨むという。なにを毅然というのかわからないが、せっかくの! 機会である。岸田氏に日中関係の全面的関係改善への行動を起こす気迫があるか。全面禁輸の本音は、このあたりにあるのではないか。毅然として対峙する本気があるか。