週刊RO通信

森滝市郎先生の平和哲学

NO.1522

 安全保障環境が悪化したと喧伝しつつ、その原因はいったいなにか? 安全保障環境をこれ以上悪化させないためには、なにをなすべきか? というような問題の本質に食らいついた議論がおこなわれない。政治家が第一にけしからんが、ジャーナリズムのしかるべき声もほとんど聞こえない。

 防衛費の膨大な増額について、しかも予算の出どころが不明だから、予算措置をどうするんだ、という批判が出るのは当然だ。しかし、はじめから軍事的防衛力拡大に走ってしまえば、国家間の緊張関係を統御するどころか、安全保障環境をさらに悪化するのは必然である。

 連日の猛暑が原因ではない。ずいぶん前から、なによりも安全保障環境そのものについての論議を深めるべきだと主張してきたが、政治家・学者・ジャーナリズムの皆さまのオツムは、つとに鉄錆び、あるいは黴(かび)が生えたように見えて、非常に不満である。

 1976年夏、広島へ原水爆禁止運動に献身されている森滝市郎先生(1901~1994)を訪問した。

 第1回原水爆禁止世界大会が開催されたのは1955年8月であった。前年3月1日、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験があり、なにも知らない焼津のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員が死の灰を浴びた。政府は隠そうとした。国内外問わず、良識が立ち上がって世界大会の運びとなった。

 穏やかで静かに話される先生の表情がほころんだのは、世界大会に向けて、たれかれなく協力し合った話だ。たとえば商店の主人が署名用紙を引っ提げて走り回った。「みんなの運動だった」。出発点は被爆者救援と平和運動が密接不可分であった。その光景を想像するだけでも愉快になる。

 広島は生贄の街である。人類は生きねばならない。だから広島は、原体験を有するものとして痛みを訴える。唯一の被爆国として、軍縮と世界平和をめざす。そのためには哲学的闘争が不可欠だ。

 1958年2月、トルーマン前大統領が、日本との決戦に向けて兵員150万人を要し、負傷50万人・死者25万人が予期されるなかにあって、持てる力を発揮するのは当然であり、原爆投下について良心の呵責はない。パールハーバーがなければ、原爆投下することはなかった、と語った。

 先生は、これはどこまでも力の論理である。力に力を衝突させるならば事態はますます悪化するばかりで出口はない。原水爆禁止運動の哲学は、理性と倫理に基づくしかないという『慈の文化』への思想を深めた。

 力は力によって滅ぶ。力に長久はあり得ない。真に人類が長久を求める真理は、道徳であり、仁であり、譲(寛容)であり、つまるところは愛、神が罪人たる人間に対して与えるアガペー(agape)に到るしかない。アガペーは、力の思想と対決せざるを得ない。

 戦後、たとえば郭沫若(1892~1978)らによって、日本の一般人もまた戦争被害者であるという無辜の民論が登場した。先生は、そうではない。戦争犯罪の一翼を担ったことに対する後悔・反省、懺悔の自覚が強い。

 だから、学者は人類の理性たるべし。こんにちの学者はよく勉強しているかもしれないが、おおかたの論調(質)は解説にやや尾ひれがついた程度で、さすが学者だと低頭したくなるような理性にはお目にかからない。

 戦争のあやまちはどれほど反省しても、反省しきれない。人類は広島(長崎)の犠牲と苦難を再現してはならない。だから――あやまちはくり返しません――という表現に至った。

 若者時代、わたしもいろいろな平和運動の片隅にいた。しかし、大衆行動といえば、集会⇒抗議デモ⇒解散の流れで、渦中にあっても勉強したという手応えがなかった。皮相的なのである。つまり、人間の運動としての哲学が見えてこない。そして、時として組織エゴがヌッと顔を出す。頭が固い、固すぎる。視野の限界、なによりも本気で勉強しないから成長しない。

 平和のためにたたかうのはなんのためだろうか? 平和のためにたたかうのは、人間としての努めである。原水爆は(戦争もだ)、common guilt(共同の罪悪)である。それは、人間の尊厳、人間への畏敬に立脚すれば、必然的に流れ出てくる哲学だと確信する。