論 考

危険なもの。政治家に権力

 民主主義憲法のキモは、権力者の馬鹿な行動を縛ることにある。かつて安倍氏は、それは300年前の考え方だと謗ったが、論拠も論理もない、いわゆる放言・詭弁の類であった。

 いまの世界をみれば、権力者なる者が好き放題やる。権力は本来、国民の生活を円滑にするためにある。しかし、矮小な精神の俗物たる人間は、それを自分自身の都合に置き換える。

 自分が国民ためだと思っているのだから乱用しているのではない。という不埒、危険な思い込みが暴走させるわけだ。

 岸田氏は、政府のトップというよりも、その発言・行動は官僚と変わらない。経験主義=過去からの流れだけに基づいているから、リアルにやっているつもりだが、実は場当たり主義に過ぎない。

 岸田氏に日本100年の大計を期待するのは砂漠でコメを育てるのよりも難しい。岸田氏が官僚的行動をとる。それは、日本が官僚国家になる。戦前の体質と変わらない。

 本人は権力というバイクの操縦に必死である。しかし、所詮バイクの性能と比較して操縦能力がきわめて低い。

 なによりも、どこへ走っていくのか。本人もわかってはいない。

 岸田氏らが使いやすい憲法にすることは、憲法から骨を抜くことである。だから、民主主義が万全に機能する社会をつくらねばならない。