憲法第9条は死んだという論調が多い。そもそも書かれたものが死ぬわけはない。依然として憲法の柱として存在している。
もちろん比喩である。憲法をつくったのは人間であり、憲法が勝手に生きたり死んだりしない。つまり、第9条を扱いこなせない主体(国民)がどうなのかという視点こそが大事だ。
かの15年戦争で、戦争による問題解決の理屈にならない有害さを骨身にしみたはずであったが、歴史を本気で考えない国民性である。首相になった人物までが、戦後生まれだから当時の歴史は知らない、という始末である。これなど語るに落ちるバカさ加減で、お話にならない。
政治家は未来志向という言葉を好んで使うが、過去・現在とつながらない未来はありえない。
戦争を始める連中は外道である。外道から脱出して未来を掴もうとしたのが第9条である。
単純に、やられたらやりかえす論だけに立脚するだけなら、あまりにも能がない。敗戦後の10年間くらいは、人々が本気で戦争を忌避し、平和を希求したといえる。それに比べると、さっこんの気風はなにも考えていないのと同じだ。
戦後のわが国は不死鳥のごとく蘇った、奇跡的大事業を成し遂げたと他国から称賛された。
ホラティウス(前65~前8)の詩を眺めつつ少し考えてみたい。
――祖父母に劣れる父母
さらにわれらを生めり
われら遠からずして
より劣悪なる子孫をもうけん――