月刊ライフビジョン | 家元登場

ひさびさの講演依頼

奥井 禮喜

とんとん拍子

 ひさびさの講演依頼があり、会場はなじみの深いホテルである。冬至、早朝快晴で頭の調子もよさそうに錯覚しつつ、駅へ出ると待っていたように電車が入って来る。わたしの故郷とは違って、時刻表を見なくても最大で10分も待てば来るからどうってことはない。しかし待たずに、ハイお待ちと入ってくる電車はなおさら気分がよろしい。講演は、開始時間に向けてひたすら気分高揚するようでありたい。これ、この道半世紀の心の習慣だ。新宿駅を出てホテルへ向かう道は出勤の皆さまがコートの襟を立ててトロット調、こちらはマイペースで追い越して行く方々の背中を眺めつつ歩く。空の青さがまぶしい。ホテルでエレベーターに乗って目的階へ到着したのは指定時間のぴたり5分前、計算する必要はないが計算した時間と合致して、ますます気持ちがよろしい。ひさしぶりに講演前の気分高揚をドオドオと少し抑えて、受付でご挨拶した。順調である。

アイスブレイク

 間髪いれず主宰責任者がお出ましになり、名刺交換、わたしは、子供時分から初対面のあいさつが大の苦手で、お世辞どころか、適当な言葉が出にくい特技がある。5つ6つのころ、母親にくっついて町へ行くと、必ず母親の知り合いに出会う。後ろへ回りたいのをこらえているのがやっとだ。大人同士の会話が長くなってもじっとしているが、話しかけられるとだいぶ困る。その幼児体験が、いつまでも支配しているので嫌になる。今回は、非常にこなれたお方で、初対面をさほど意識することもなく、円滑に会話が進んだ。ここまで来れば恐いものなし、まるで旧知のように会話が進む。ややあって、今回の講演をお世話くださった先生がお出ましになり、ますますリラックス。いろいろ話が弾んで講演前の緊張はほとんどない。もっとも、どんな会話を交わしたか記憶がないので、やはり、緊張していたらしい。後から思えば、まるで講演デビューするみたいであった。

好事魔多し

 事務局の方が来られて、本日の資料をいただいた。どんな方が話を聞いてくださるのだろう。名簿を見ても心当たりはない。わたしの話は脱線が多いので、くれぐれも失礼があってはならない。いつも、事前には慎重であれと自戒する。まあ、格別気遣いしなければならない方面はなさそうだ。資料をめくって、ギョッとした。事前に届けた講演要旨が、パワーポイントのスタイルに編集されている。そこでハッとした。パワーポイントは使いませんと伝えてあったのに、演壇にはスクリーンが設えてある。やはり、スクリーンに映して、それを説明する形式でやれという話だ。まったく考えてもいなかった。資料を区分ごとに並べただけだと言われるが、わたしは、手許のメモを適宜眺めつつ話したい。こちらでコマ送りしますと言われるが、余分なことにも注意しなければならない。講演開始まで少ししか時間がない。さきほどまでの高揚は消えて、うまく行くか。心配になった。

成否は共感の引き出しにあり

 そもそも、資料に手を入れるのであれば、事前に相談があって然るべきだ。いかに優秀な編集者であっても、著者の応諾なく、編集するものではない。こちらのテイストもある。資料を勝手に編集し、講演スタイルの演出まで相談なくやってしまったのは、非常識である、失礼千万である。瞬間、焦りと不満で熱くなったが、ここでゴタゴタやってはならない。スクリーンを使う場合は、それなりに練習も必要だ。講演は資料のプレゼンテーションをするのではなく、わが思うところを述べて、説得するつもりであるから、そもそも目的が違う。わが非常用電源が作動した。えーい、とにかくやるしかない。次なるピンチは、暗くて手許の資料が見えにくい。――所要70分を2分超過して終えた。少し、カットもした。皆さま熱心に聞いてくださった。なんとか無事着陸したようだ。喜寿最初の講演デビューは、改めて、panta rhei、人生はなにが起こるかわからないことを痛感した。