論 考

中国共産党100年

 中国共産党は1921年上海で、13人出席して初の党大会を開催した。今日がそれから100年になる。いま、国内での人気は史上最も高いだろう。一方、国外の人気は史上最悪というべきであろう。

 製造業の世界輸出シェアは16%。米国がその数字であったのは1970年代である。これは象徴的だ。世界経済において米国が名実ともにチャンピオンだったのはそこまで、中国の台頭以前から先進国のトップをいく米国経済は頭打ちであった。

 習近平指導部の人気を確固たるものにしたのは腐敗撲滅キャンペーンだった。評価はいまも衰えていない。一方、1人当りGDPが1,000ドルに達したものの、不動産価格の統制には失敗続きであり、大都市部の人々の不満は大きい。今後も国内人気を維持するためには経済政策が最大のカギになろう。

 バイデン氏の支持率は55%、経済面では48%で評価が高くない。民主主義対専制主義の大宣伝とは異なった側面が見える。国内での不満が高まると外に人々の視線を向けさせようとする傾向があるが、やはり、各国のリーダーは第一に国内社会・経済・政治の足取りを確かにすることが問われる。

 習近平氏は、内乱ともいうべき文化革命当時の混乱が大きなトラウマになっているであろう。人々の意識がばらばらで砂のような状態では国力を育てられない。砂を結束させるのが党である。腐敗撲滅キャンペーンは、一党一枚岩を確保し続けるためにこそ力を発揮した。

 共産党を率いる習近平氏の戦略は、国民的統一にあって、それをつねに最優先しているように見える。いわば、社会全体を軍事組織のように眺めて采配を揮っているのではないか。しかし、国民1人ひとり、とくに1990年代以降に生まれ育った人々は、堅実な経済的生活を求めている。

 最近巷間の話題は、躺平(たんぴん-平らに横になる)主義だ。腕まくりして頑張っても、格差が拡大するばかり、仕事に生きがいが感じられない。ならば、無理をせず、のんびりやろうぜという雰囲気が若者の間に登場しているらしい。

 これはいわば格差問題である。人は腕まくりばかりしてはいられない。習近平指導部が無視すれば、草の根的反発を育てることにもなる。

 党が、人民に奉仕するという原理原則が問われている。