月刊ライフビジョン | 地域を生きる

異質を排するムラ意識は健在だった

薗田碩哉

 働き者の多くのサラリーマンは「定時制市民」ともいうべき存在で、地域にいるのは夜更けから早朝まで、主婦や高齢者や子どもたちのような「全日制市民」と違って地域のことなど見たことも聞いたこともない、たまの休日には睡眠補給で寝ているからやっぱり地域とは触れ合わないというご仁が多いはずだ。ところがこの度のコロナ騒動は、サラリーマンを地域に足止めにした。毎日朝から晩まで地域にいることを強いられて、さすがにわが住む町や隣近所のたたずまい、人々の様子が目に入らざるを得なくなった。

 そこで見えてきたのは、地域というものの意外な存在感ではなかったか。昔と違って隣り近所との交際など顔を合わせた時の挨拶ぐらいしかないし、自治会・町内会などの地域組織に名目でも加入して会費を払っている人は全住民の半分ほど。地域の祭りのような行事にしても細々とやっているかいないかというぐらい地域は希薄な存在のはずなのに、コロナが蔓延するとなると、俄然「地域の眼」が光り始めたのである。早い話が今時マスクをしないで辺りを歩いてみたら、出会う人誰もが咎めるような冷たい視線を向けて来て、かなりの度胸がないと大通りの真ん中は歩けない。改めて道行く人を見ると、いたいけな幼児から若者、中年、高齢者に至るまで見事にマスク一色の光景だ。政府がマスクを強制しているわけではないのだから、マスクへの圧力は地域の力が作用していると考えざるを得ない。

 もっと陰湿な事例も報告されている。他県ナンバーの車を停めていたらたちまち文句を付けられたとか「出て行け」と落書きをされたとか、コロナを持ちこむかもしれないよそ者は排除するという地域の意思が露骨に表現されるようになってきた。頼まれもしないのに監視役を買って出て、自粛要請に従わない飲食店にねじ込むようなとんでもないボランティアも出現している。不幸にしてコロナに感染して入院させられたということが近所に知れ渡ったら(事実でなくてもそんな噂が広まったら)、留守家族はおちおち外も歩けない次第となる。誰しも感染したくないのは人情だが、個々人のそんな思いが「わが地域だけは安全でありたい」という集団の意思に凝集されて恐るべき排他性が姿を現す。表面的には付き合いが希薄になったかに見える地域社会だが、その深層にはかつての「ムラ」の共同体意識がいまだに根をおろしているのかもしれない。

 「きだ みのる」という稀有な物書きがいた。本名は山田吉彦という社会学者で『ファーブル昆虫記』の訳者として知られている。彼が「きだ みのる」として書いた『気違い部落周遊紀行』(昭和24年刊、今ではこんなタイトルは到底許されないが)は無類に面白い本で、筆者の愛読書の一つである。きだは第2次大戦中から戦後にかけて八王子の奥の山寺に住み込み、その部落の14軒の「英雄」たちと親しく付き合いながら暮らした。そして文字通りの「参与観察」を積み上げて部落の人々の暮らし方や考え方を文化人類学的手法で赤裸々に描き切った。そこには日本人の地域生活の原像が見事に写し取られている。

 きだの部落の人たちは、なかなかのエゴイストたちである。隙あれば相手を「ひんむく」ことに躊躇しない。人間は人間に対して互いにオオカミであることを実証してくれる。しかし、それと全く矛盾する他の一面もある。困った時に助け合う相互扶助の心である。お寺の先生(きだ)はある時、子どもが病気になり、少しでも精のつく食べ物をと思って近くの某姐さんに卵を分けてくれるように頼む。事情を知った姐さんは「それは難儀だろう、いくつでも持っていきな」と卵を惜しげもなく恵んでくれた。その後、またこの姐さんに食事用の卵を頼みに行くと、今度は法外な闇値を吹っ掛けられたという。以前の助け合いと後日のむしり合いとは全く矛盾なく某姐さんの中で共存しているのだ。

 部落には「殺生するな」「盗むな」「火をつけるな」「村の駐在に密告するな」など、モーゼの十戒みたいな掟があって、これに背けばよく知られた「村八分」という制裁を受ける。村人が結束して違反者との交際を絶つのだが、八分というように残りの二分だけは絶交を放棄して援助してくれる余地がある―それは火事と葬式である。不測の出火で焼け出されたり、一家の主が亡くなったりすれば相互扶助が復活して生活を続けることができるということだ。個々の家同士の弱肉強食的な生存競争と、カツカツのところでは支え合う相互扶助とが微妙なバランスを持って共に機能しているのが地域共同体の基本原理だと思われる。

 今回のコロナ禍があぶり出した地域の潜在意識は、個々の家と地域全体のエゴイズムを守って異質なものを排除するという方向では顕在化したということが出来よう。しかし、地域社会の中にはもう一つ、苦境にある家を共同して助けるという連帯意識もあったはずである。それが果たして前に出て来ているのか。どうもそういう雰囲気は筆者の周辺では感じられないし、新聞やテレビでもあんまり報道はされていないように思う。感染して隔離されるという苦境にある患者を持つ家族に対する相互扶助の原理が見失われたとしたら、それは昔の「ムラ」とは似ても似つかない、新自由主義下の荒涼とした地域砂漠の光景だと言わざるを得ない。

 地域に生きる 67         

 猛暑が去ってやっと秋らしい日になった里山の田んぼは、稲の穂が伸びて頭を

下げは じめた。収穫まで台風が来ないように、イナゴや鳥たちに食べられないようにという祈 りを込めてみんなでカカシを立てた。親子のグループごと、それぞれ工夫のあるカカシ が整列した。


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。