月刊ライフビジョン | メディア批評

地域社会をどう形成するか―中国を占うもう一つの視点

高井潔司

 今月号は新聞批評からちょっとずれるが、今米中貿易摩擦で、アメリカから標的とされる中国のIT大手ファーウェイの本拠、中国の深圳市に滞在して考えたことを報告する。

 5月中旬、中国南部の都市、深圳に行く機会があった。香港に隣接し、中国の出入り口にもなっているので、1980年以来、10年に一度程度、訪れている町だ。中国が経済改革・対外開放路線に転じ、経済特区に指定された。80年代にすでに数棟の高層ビルが建設されていた。だが、その周辺は農地、荒れ地で、まるでアメリカの西部開拓地といった殺風景な町だった。この町を訪れた日本人は口をそろえて、違和感を覚えるともらしたものだ。私も通過するだけの地点という認識しかなかった。他の経済特区に比べ、発展が遅い都市だった。

 しかし、今回、数日間滞在し、いくつかの家庭を訪問したり、一般住民の方々と話をする機会があり、その変化と発展ぶりに驚いた。習近平・李克強政権になってインターネットで経済発展を目指す「インターネット+(プラス)」戦略の成果と言えるだろう。人口が2千万人を超えるが、一点集中型の過密都市というより、高層アパート群が郊外にまで計画的に配置され、11路線の地下鉄がそれをつなぎ、バランスよく発展しているという印象だ。緑豊かな公園や街路樹、花壇もほどよく整備されている。郊外のホテルに泊まった。近くの公園にはジョギングコースや健康遊具が設置され、早朝から市民が健康増進に励んでいた。

 中国のITを代表するファーウエイ、テンセントという二大企業が本拠を構えており、中国のシリコンバレーとも称されている。5年ほど前、香港から広州に向かうため通過した時、どこもかしこも掘り返しているような印象だったが、いまや落ち着いた大都市の風格を整えつつある。中国に関わるようになって40年、その変化を現地でつぶさに見てきたが、いつもその過程は荒っぽい外科手術を受けている患者のようで、悲鳴が聞こえてくる様相だった。だが、数年後不思議にちゃんと帳尻が合い、それなりに格好がつくのが中国だ。深圳はいまや香港を凌駕し、その機能を奪う勢いだ。

 もっとも、外目のハードウェアは揃った都市だが、ソフトの面ではまだまだこれからだろう。人口の99%は他省、他市からの移住者だから、住民同士の人間関係はこれからどのように形成されていくのだろうか。子供たちの間にどのように郷土意識が生まるのだろうか。私は40年ほど前、読売新聞の千葉支局に配属されたことがある。ちょうど海浜地区の開発が始まったばかりだった。団地やマンションが立ち上がり始めていたが、駅から住宅まで街灯も整備されておらず、夜間の外出は危険極まりなかった。私はそれまで5年間、福島支局に勤務していたが、福島県では1年に一度殺人事件があるかないかだった。千葉では一晩に3件も発生したことがある。問題は治安の悪さだけではなかった。

 のちに市長になった当時の市の総務課長は「人口が急増し、特別市に昇格するが、住民意識が希薄のままでは、ごみの収集一つをとっても、住民の積極的な参加が期待できない。効率が悪いと結局コスト高となり、財政が破綻してしまう」と、コミュニティ活動の重要性を訴えていた。

 海浜ニュータウン地区は、東京に勤務地を持ち、千葉は寝るだけの千葉都民ばかり。住宅はコンクリート壁で仕切られ、隣の住民でさえ顔を合わせることがない。不審者が入って来ても不審者かどうかも不明なコミュニティである。私は住民意識を高めるコミュニティ活動の必要性を感じ、そのモデルとなるような試みがないか、市内を歩き回って、取材を重ねた。ようやく少年野球を中心にした地域づくりを紹介する連載を執筆した。千葉都民の若い父親が子供たちやその親を巻き込んで、荒れ地だった中学校の予定地を市から借りて、住民たちの手で、野球やサッカーのグラウンド、さらには老人たちのための菜園まで作った。地域活動を重視する千葉市当局も、この少年野球を中心とするコミュニティ活動を全面的にバックアップしてくれた。

 今回の深圳旅行は、実は中国人の友人が、日本の農林漁業の六次産業化プロジェクトを学び、若い起業家人材を中国に養成する学院を創立し、その学院スタッフに講演してほしいという要請を受けたものだった。その学院構想には子供たちへの自然教育、農業体験塾なども含まれている。そういう発想の学院が作られること自体、深圳がハードからソフト作りへと課題が移りつつあると感じたし、その機運が生まれつつあった。

 講演は巨大な高級ショッピングモールの屋上に作られた有機農業食材のレストランのわきに設置された子供の農業体験教室の施設で開かれた。当初は関係者だけのクローズドミーティングのはずが、「私たちは家庭教育の研究サークル会員」という中年女性4人が飛び入り参加して来た。一瞬共産党から派遣され監視に来たのではと警戒したが、それは私の妄想だった。女性グループの参加で、私は急遽、講演のテーマを変更し、40年前の、先に紹介した千葉の子供を中心としたコミュニティ活動の経験を話した。女性グループはわが意を得たりの表情で聞いていた。後ほど中国版Lineの微信で、「感覚今天活在幸福里(きょうは幸福なひと時を過ごしました)」というメッセージを送って来た。新興都市で、どう安定した家庭環境を作り、地域社会を作り、人間関係を作っていくのか、それが課題になりつつあることを、彼ら自身、感じ始めているといえるだろう。

 実は中国全体では1990年代中頃、計画経済から市場経済を本格化する時、地域社会をどう構築するかが、大きな課題となった。その当時この問題に注目する特派員は私以外にいなかった。以下は読売データベースから見つけた記事だ。

 中国で、上海をモデルにした「地域社会」の役割を強調するマスコミ・キャンペーンが始まった。市場経済の発展に伴い、中国 も、これまでの「単位(職場)社会」に代わる社会組織が求められる時代に入ったことを示している。(北京支局 高井潔司)

 中国の都市部では、これまで大きな国有企業が自前の幼稚園や学校、病院などの施設を持ち、退職後も所得を保証してきた。地方の行政部門の役割は、それを補完する程度だった。だが、こうした「単位社会」の維持のための負担が、企業経営を悪化させて きた側面がある。 

◆社会保障をカット

 ところが、市場経済促進の一環として、企業改革が推進されたため、倒産や合併が日常化してきた。「お荷物の企業は倒産させるべし」というのが中央政府の意向で、企業の側も、従来の社会保障サービスを次々にカットし始めた。その一方で、これまで 「単位社会」が担ってきた社会保障的な役割をだれが受け持つのかが明確でないため、大きな社会問題となってきた。人口制限の ための一人っ子政策で、家庭の力も低下している。そこで焦点があてられたのが、コミュニティー(地域社会)である。中国語でコミュニティーは「社区」あるいは「小区」と訳されているが、まだ市民の間になじみは薄い。それだけ新しい社会の変化を示す言葉といえよう。  

◆上海がモデルに  

 15日から中国主要紙は、上海をモデルに、一面での連載キャンペーンを一斉に開始した。それぞれ扱うテーマや地域は別だが、上海市内の各所で、失業者への就職のあっせん、社会教育・レクリエーション施設の提供などから、高齢者の世話や通院の補助、緑化の推進、ごみ収集に至るまで、実にさまざまなサービスを提供する「小区」や「社区」が市内各地で誕生している、と紹介している。

 例えば、市内の竜門居民委員会では、共働き家庭が千世帯にのぼっていることから、温かい昼食の取れない小学生にサービスを始め、現在100人の子供が参加している。甘泉路地区では、大量のレイオフが発生しているため就職あっせんサービスを始め、夫婦ともレイオフとなった住民を優先に、これまでに4500人の就職口を確保した、という。

 上海市の場合、地方政府の下に、区政府があり、さらに各地域の街道委員会があるが、これまで、これらの組織は共産党の統治に奉仕する機関であって、住民サービスという面では、極めて非力な存在だった。一連の試みは、末端の行政組織を住民本位の組織に切り替え、住民の参加をも求めている。これに関連して人民日報は、「社会主義市場経済の建設や政府機能の転換の必要性、現代的な都市建設と管理の新しい特色にもとづいて、上海では『社区』を精神文明建設の『基盤』とし、都市管理の中の役割分担を一変させた」と、絶賛している。  

◆民主化なども視野  

 上海の例が、本当に住民を満足させているかどうかは別として、各紙の鳴り物入りの報道ぶりは、かつて上海市長だった江沢民総書記の意向をくみ、共産党の中央宣伝部の肝いりで始めたことだと見て間違いあるまい。今後、全国の都市で同様の試みが展開されよう。中国の政府、民間挙げてのこうした住民本位の「コミュニティー」への強い関心は、中国社会が大きく転換しつつあることを物語るとともに、将来の政治体制改革や民主化をも視野に入れた動きとして注目される。

 残念ながら90年代のこのキャンペーンは功を奏しなかった。住民自治につながるコミュニティー活動が共産党の末端機構の指導とぶつかり、支配体制を危うくするとの懸念が党内に高まった。社区も党から独立した住民組織にならず、私が予測通りの展開とはならなかった。このあたりにも民主化がなかなかすすまない中国社会のひずみを感じられる。今回の深圳も上海などと同様の歩みとなるかもしれないが、既存の党組織がなく、また弱体の新興都市であるし、何より住民の側に需要があるだけに、今後どんな展開をしていくのか、私にとっては深圳の違和感はどこから来たのか。住民意識を持たない移住者ばかりの都市だったからではないか。住民活動の盛り上がりが興味深い。

 地域社会がどう許容されるか、中国の将来を判断する視点となるだろう。違和感の残る深圳ではあるが、長期的に見れば、彼ら自身も実はそれを感じ始めている。彼らだって当然、郷土愛の持てる町作りをしたいに違いない。共産党がそれを許容できるかどうかである。共産党がそれを許容できない限り、諸外国から違和感のある国と後ろ指をさされることになるだろう。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。