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『危機の二十年』と危機の77年

奥井禮喜

国際政治学の始まり

 E.H.カー(1892~1982)著『危機の二十年』(1939刊行)を読んで考えたことを書きたい。

 『危機の二十年』は、第一次世界大戦(1914~1919)後から、第二次世界大戦(1939~1945)までの戦間期20年間(1919~1939)の国際政治について書かれた本である。

 カーによれば、1914年までは国際関係を扱う仕事は、職業外交官や職業軍人の仕事で、一般の人々の関心外であり、さらにいえば政党政治の管轄外でもあり、議会は外交当局の行動をコントロールできなかった。たとえば、1911年モロッコ事件の際、イギリス外務大臣グレイがフランスとの間で秘密海軍協定を結んだが、イギリス内閣はこれについて1914年まで知らなかった。

 さて、第一次世界大戦は、総力戦であり、国民各人に至るまで多大な惨禍に見舞われた。戦争を職業軍人に、国際政治を職業外交官にお任せしておけばまちがいないという従来の考え方のまちがいが実証された。そこで国際政治学という学問研究が本格的に開始した。

 つまり、国際政治学は(平和を希求する)民衆の要求に応えるために生まれた。研究は、国際政治の事実を収集し、分類し、分析して、推論を立てる。思考の前提=目的は、国際政治を健康体にすることにある。

 もちろん国際政治学は国際政治の実情を診断するのであって、治療をおこなうものではない。国際政治に医師がいるわけではないから、研究成果があまねく人々に理解されること。戦争のような事態に突入しないように、国際政治を動かす人々が誤りのない思考と行動をおこなうことに貢献するつもりである。

第一次世界大戦(欧州大戦)の素描

 ここで、カーの所説を離れて、第一次世界大戦を素描する。大戦の遠因は、普仏戦争(1870~1871)の結末にある。それはスペイン王継承をめぐって、プロイセンを軸とするドイツ諸連邦と、フランスとの間に起こった。ドイツ諸連邦が大勝し、フランスはアルザス=ロレーヌを割譲、償金50億フランを支払った。ドイツは統一を果たし意気上がった。フランスは帝政崩壊し、第三共和制が発足、長く経済的にも困難を抱えてリベンジ意識を抱き続けた。

 台頭するドイツに警戒心を抱くイギリスは、英仏協商・英ロ協商を結ぶ。大鑑巨砲主義の時代である。19世紀後半は、英独建艦競争が激化した。

 オーストリア・ハンガリー国が、ボスニア・ヘルツェゴビナを併合し、汎スラヴ主義者の強い反感を呼び起こした。バルカン半島各国は、親ロ・反墺の感情で満たされた。スラヴ主義は、19世紀半ばに現れた民族主義である。ロシアの後進性を西欧的な流れによって克服しようとする西欧主義を、西欧崇拝だとして攻撃した。ロシア伝来の共同体に基づく固有の発展の道を高唱した。

 モロッコ事件(1905と1911)が発生した。モロッコに対するフランスの支配にドイツが干渉した。独仏関係の悪化に加えて英独関係も悪化した。

 イタリア・トルコ戦争(1911)が起こり、オスマントルコの衰退が進んだ。

 バルカン戦争(1912)が発生した。ロシア支持のもと、ブルガリア・セルビア・モンテネグロのバルカン同盟がトルコに対しておこなった戦争である。バルカン半島の大部分をトルコに割譲させた。

 さらに、トルコが割譲した領土の分割争いから、翌年、バルカン同盟のブルガリアと他の3国が戦争した。失地回復を企てたトルコも参戦した。

 仏ロ同盟が結ばれた。帝国主義の時代である。群雄割拠である。

 第一次世界大戦の引き金は、オーストリア・ハンガリー国皇位継承者のフェルディナント大公夫妻が、サラエボでセルビア人グループに暗殺された。オーストリア・ハンガリー国は、たそがれ気分が漂っていた。ドイツの強力支援があれば、ロシアが進出することはなかろう。この際、セルビア戦争に突っ込み、戦意高揚によって疲弊沈滞した王制に活気を吹き込もうとの計算も働いた。ドイツもまた、ドイツ・オーストリア連合にロシアが戦争を挑むことはなかろうと踏んだ。好戦熱が戦争の冒険へと突き進ませた。

 ロシアはバルカン半島支配の野心もある。日ロ戦争からの軍備回復も十分である。100万人陸軍・バルチック艦隊・黒海艦隊を総動員して戦争に突入した。イギリスは、ロシア・フランスとの協商を大事にするという名目で戦争に参入した。あっという間に、ロシア、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリスが戦争に飛び込んだ。

 欧州の人々は当初、早晩戦争は終わると観測していた。しかし、もともと群雄割拠である。戦火は拡大しても容易に終わらない。4年間の大戦争に発展した。

 大戦の主たる原因は、各国が台頭著しいドイツをめぐって、国家間バランスが崩れることを懸念したからである。また、普仏戦争から40数年を経ており、戦争否定の体験が風化していたこともある。領土問題が絡み、さらにゲルマン系対スラヴ系の民族主義衝突もある。英独に限らず各国が軍拡競争に精出してきた。軍拡は軍事計画を引き寄せる。ジンゴイムズの人々にすれば、まさしく「時到る」という意気が上がる。

 当時の外交はかなり危ないものであった。後の研究で、当時の外交文書には捏造が多いと指摘されている。たとえば、自国の軍備増強はできるだけ小さく、相手側のそれはけしからんほど大きい。自国を侮辱する文書を捏造する。相手が平和を志向するごとき言葉はカットするなど、敵国の好戦熱と脅威を煽る傾向である。外交が一部のプロの手中にあるのだから、やりたい放題、開戦すれば一瀉千里で、敵国への罵倒が圧倒する。

 戦争を始めるのは容易だが、開始すれば拡大一途で、直ちに外交決着するなんてことはまず不可能である。

外交の王道

フランスにカリエール(1645~1717)という外交官がいた。絶対王制最盛期ルイ14世時代である。『外交談判法』という著作を残した。「理性と説得による手段を試み尽くしたのちでなければ武力行使の手段に訴えないことが大原則である」と主張している。

「外交は国同士の良好な関係を維持するのが目的である。隣人を尊重しなければならない。相互的利益に基盤をおかねば関係や条約は存在しない」

素人が読んでもこれ以上の正論はないと思うが、19世紀の帝国主義・植民地争奪戦時代においては、外交は権謀術数の世界であり、敵を欺くだけでなく、見方をも欺く。騙されるほうがわるいという調子であった。

危機の20年間の素描

 第一次世界大戦後の世界、とりわけ欧州は勝敗にかかわらずいずこの国も国土と人心の荒廃に直面した。痛い反省から再出発したはずであった。

 アメリカ第28代大統領ウイルソンが提唱した国際連盟の設置は画期的な出来事であった。その正当性は世論の支持である。たしかに戦禍に疲弊した人々の気持ちに対し、ウイルソンが提唱したスローガン「新しい自由」は強いインパクトを与えたであろう。

 しかし、周知のように国際連盟は成功しなかった。第一次世界大戦が終わってちょうど20年目に第二次世界大戦が始まった。カー『危機の二十年』は2度目の大戦が開始したその年に発刊された。

 カーは、さまざまなリーダーたちの発言を分析した。非常にたくさんあるのでそれらを紹介することはしない。一言で括れば、彼らはきわめて楽観的であり、その発言だけ読めば2度目の世界大戦が発生するわけがないのである。欧州ではドイツのナチが、東洋では日本が世界大戦に人々を巻き込んだ。

 第一次世界大戦は植民地主義に対して民主主義が勝利したことになっているが、その看板通りに見ることはできない。19世紀的植民地主義は放逐されるどころか、大手を振って台頭した。ドイツのナチも日本も、もちろん民主主義ではない。しかし、政治制度が民主主義であったとしても、それだけでは国家主義や全体主義の防御に万全を期せない。

 カーの有益な着眼点は、第一次世界大戦後の世界の論調が、自由放任主義と利益調和説にあるとする。利益調和説は、共同体の利益と個人の利益が一致するというものである。個人が自利のために自由に奮闘することは、国家の利益である。その逆も成立する。

 同様、国家が自利を推進することは世界=人類全体の利益につながるとする。しかし、これが強者・強国の論理の美しい表現だということは、こんにち誰でも知っている。利他を幻想として、行動原理をすべて自利におくならば、弱肉強食に過ぎず、野蛮の世界に逆流するのは必然である。

 実際、わが国の15年戦争でもそうであったが、ジンゴイムズ熱は、ひごろ不平等社会に苦悩する弱者においてきわめて強かった。開戦すれば、弱者がまっさきに大変な目に遭うのだが、むしろ戦争を賛美する。この倒錯した関係から目をそらすわけにはいかない。

 国内において、強者の論理が主流であり、不満矛盾が平和的に解決されず極大化すれば、革命や戦争へのエネルギーが大きくなる。ただし国内革命のエネルギーを組織するのは容易ではない。国を組織化している支配層は当然革命を忌避するから、戦争の道へ進むほうがたやすい。

 世界において、強国が自分の利益を世界全体の利益にすりかえるのであれば、共同体としての世界はつねに不安定である。

 国内権力が被支配者の明確な同意を得ている状態は、不平等はじめさまざまな矛盾が解決されることである。そうであれば、革命や戦争は限りなく遠のく。

 カーによれば、戦間期=危機の20年を一言で括れば、「民主主義の無力化」であったと分析した。つまり、第一次世界大戦の痛切な反省がなされたにもかかわらず、本丸である、各国内・世界の民主主義思想や行動を漸進させられなかったと指摘した。

第二次世界大戦後の77年間

 今年は第二次世界大戦後77年、この間の「戦間期」はいかがであろうか。直ちに気づくのは、大戦後の東西冷戦開始である。戦争が終わったという気持ちが覚める前に、反共主義に凝り固まったアメリカを軸とした反共包囲網が構築された。冷戦は1989年ベルリンの壁の崩壊で終わったが、その後のアメリカ、NATOの当方拡大が不信と怨嗟を凝固させたプーチンによってウクライナ戦争を招いたという事実が目下進行中である。

 そのアメリカにおいて、国内民主主義、国内秩序は分断と対決できわめて不穏な事態を続けている。バイデン氏は外に向けては、普遍的価値観の民主主義陣営が権威主義の全体主義陣営と対決するとして、新たな冷戦が推進中である。たまたまロシアがバカな戦争を継続しているので、新冷戦路線に対する懐疑が大きな声になっていないが、世界を分断・分割するような国際戦略は正しくない。

 第一次世界大戦は、台頭するドイツと反スラヴ主義が大きな要因であった。いまの戦間期においては、ドイツに代わって台頭する中国と、プーチンの汎スラヴ主義の焼き直しが時代を動かしている。なにやら、少しも先の体験が生かされている気がしない。しかも、アメリカ・ファーストはトランプ主義だけではなく、アメリカの変わらぬ世界戦略である。自由放任主義と利益調和説がそのまま生き残っていることを見過ごせない。

 カー『危機の二十年』刊行から83年、カーの時代はオリジナルだが、現在はその繰り返しである。「歴史はくり返す」という言葉を文学的に解釈するわけにはいかない。まさに知性が惰眠を貪っているわけだ。

 わがジャーナリズムの沈滞ぶりも見過ごせない。少なくとも、ジャーナリズムが社会の健全性、民衆が期待する社会のあり方に仕事の基調を置くならば、ウクライナの戦争報道で紙面を埋め、中国包囲網に対する懐疑・懸念を放擲して、アメリカ的民主勢力の側に漫然と立つだけではよろしくない。

 世界の外交は各国内政の総集編として現出する。そもそも、内政が健康的であれば外へ戦争を求めるような論調は登場しない。国内不一致は、古今東西いつでも為政者を悩ませるが、戦争への流れが始まると人々の精神状態は戦争賛美論へと収斂しやすい。

 法=権力であるが、法が道義のもとにないと現実は必ず強権政治に向かう。強国が自分の利益を全体の利益にすり替えて秩序を形成・維持しようとすれば、世界共同体は必ず不安定になる。

 9月20日開幕した国連総会で、グテレス事務局長は「世界的不満の冬」が到来する。信頼が崩れ、不平等悪化が加速すると述べた。残念ながら、その指摘は的を射ている。世界が国連活動を活発化させるためには、傘下各国の内政に対すする世論の健全性がカギである。

 国連が弱体だと批判しても、国連の機構をいじくってもなにも変わらない。人々が、1人ひとりがキーマンだというしかない。