論 考

労働時間

 中央教育審議会が、学校の先生の長時間労働対策に着手した。それは、まあ、一歩前進ではある。

 さて、少し前に騒動した「働き方改革」法案問題以来、ずっと奇妙に感ずるのは、働かせる側の動きとは別に、働く側の長時間労働に対するきちっとした見解が表面化しないことである。

 昨今だけではない、昔から労働時間に対する組合(員)の発言や動きが極めて少ない。1960年代にようやく飢餓賃金を脱した当時は、時短より賃金を1円でも多く取れという声が多かった。

 ここには、賃金と労働時間の関係が十分に理解できていない面と、勤め人が稼ぐには残業しかないわけだから、何がなんでもたくさん手取りがほしいということから、残業を歓迎する声があった。

 しかし、いつまでも労働時間に対する考え方が前近代的! では、どうしようもない。

 組合活動の停滞が著しいのは、働く人が職場という「環境世界」にどっぷり漬かっていて、それ以外の思考が停止しているからだともいえる。

 組合リーダーの皆さんは、単に長時間労働で過労死するの、しないのという視点だけではなく、働く人の人生の視点から、労働時間の理論を確立する努力をしてもらいたい。