月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

広報にだまされないためのジャーナリスト講座

高井潔司

 大学のジャーナリズムに関する授業では目下、「広報とメディア」の関係に触れるあたりに差し掛かっている。これまで情報の信頼性を重視するジャーナリズムにとって、取材がいかに大切であるかを講義してきた。しかし、この情報社会において、政府や企業の広報部門が重視され、取材される側がむしろ積極的に情報提供し、情報発信するようになり、取材は受け身になりがちだ。メディアの側がしっかり裏付け取材して対応しないと、広報側にイニシアチブを取られてしまう恐れがある。いまやメディアは、様々な勢力が世論の主導権を競い合うアリーナ(競技場)であり、メディアはその当事者でもあり、また行司役でもあることを自覚する必要がある。こうした現状を理解させようというのが、授業の狙いである。

 ちょうどその授業の前日、シンガポールで安倍首相―プーチン大統領の首脳会談があり、安倍首相は記者団に対してその会談の概要を説明した。読売の一面トップの記事(11月15日付け朝刊)では、こう書かれている。

 「安倍首相は14日夜、訪問先のシンガポールで、ロシアのプーチン大統領と会談し、平和条約締結後に北方4島のうち歯舞、色丹の2島引き渡しを明記した1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した。年明けにも首相がロシアを訪問し、プーチン氏と会談することでも一致した」

 これはビッグニュースだ。朝日もほとんど同じ内容である。だが、問題は、「合意した」「一致した」というのは、あくまで安倍首相がそう説明しただけで、日本側の一方的な説明だという点である。この点、同行記者はしっかり認識しているのか、どうか。私の見立てでは、勉強不足の同行記者団は、安倍さんが「戦後70年以上残されてきた課題を次の世代に先送りすることなく、私とプーチン氏の手で必ずや終止符を打つ強い意志を完全に共有した」と大見得を切ったので、すっかり乗せられてしまった感がある。安倍さんの説明を疑いもなく、そのまま会談の結果として報じている。

 私は授業で、広報とメディアという観点で言えば、安倍発言は、あくまで日本政府の広報であって、ロシア側がどう述べるか、見てみないといけないし、これまで交渉経過を良く知る専門家がどう判断するかも見ていかないといけないとコメントした。朝日の場合、トップ記事に合わせて、「交渉前途は多難」との解説を付しているのでまだ良いとして、読売や産経などはまるで、安倍発言通りに今後の交渉も展開するかの書きぶりで、“行司役”の役割を果たしていない。

 案の定、翌日の日本各紙には、「歯舞・色丹主権妥協せず」(読売)といった見出しでプーチン大統領の記者会見の内容が報じられ、会談は安倍首相の説明(というより期待ではないのか?)ほどの目覚ましい進展ではなかったようだ。プーチン大統領は「(宣言では)どのような条件で、どこが主権を有するかは言及されていない」と述べているから、今後交渉の前進は容易ではない。

 そもそも北方領土について、日本政府の立場は、2島ではなく、4島ともわが国の固有の領土であり、「北方4島の帰属問題を解決し平和条約を締結するのが、わが国の立場」として、交渉にあたってきた。その結果、長年ソ連、ロシアとの交渉に決着を着けられないできた。

 したがって、国後、択捉島に言及せず、「日ソ共同宣言を基礎に」「先送りしない」という安倍首相の説明は、「2島先行返還」への転換と受け止められた。読売は2面の解説で、「確実な2島返還狙う」と書き、朝日に至っては16日のオピニオンのページで「『2島先行』という決断」と題し、それを前提に「平和条約 最後の機会を生かせ」という東郷和彦元外務省欧亜局長と、「『+α』夢見る時代終わった」との岩下明裕北大教授の評論をでかでかと掲載している。

 ところが、プーチン会見ですっかり冷や水を浴びせられた格好になった日本政府は、菅官房長官が記者会見で「北方4島の帰属を解決し、平和条約を締結するのが、我が国の立場だ。この点に変更はない」と述べ、また元の振り出しに戻ってしまった。

 韓国との従軍慰安婦問題然り。「次の世代に先送りしない」と大見得を切るわりには大した決断もしていないので、本当の問題解決に至らない。専門家の間でも、もはや4島はもちろん2島でさえどうか、と言われる中で、堂々と政策の転換を表明し、自ら身を切る決断をして国民を納得させなければ、解決などおぼつかない問題である。だが、それはポピュリスト政治家にはとてもできない相談である。

 さてこの授業の結論は、広報にだまされないために、記者は、1、広報係以上に問題を勉強する。2、現場取材をする。3、別の情報源に当たる――ことが大事。そして、広報以上にそのユースについて広く、深く把握し、記者のイニシアチブを発揮しなければなりません、と結んだ。


高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。