月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

「ヒヤ、ヒヤ」は民主主義の原点?!

高井潔司

 アメリカにダンス留学した二女がアメリカ人と結婚して間もなく3年になる。婿殿は「オハヨゴザイマス」と愛敬はふりまいてくれるが、ちっとも日本語を勉強する気がなく、こちらはやむなくNHKのラジオ放送で英会話を勉強中である。いまや70の手習いだが、まだまだ学校英語の影響が強く残り、簡単な言葉が聞き取れないし、簡単な表現なのに、「えっ!どうしてそんな意味になるの」と、驚くことがしばしばだ。

 “Hear、hear”という表現は驚きというより新しい発見だった。テキストの翻訳に「賛成、賛成」と書いてある。えっ!「聞け、聞け」じゃないの。どうしてそれが賛成になるの?

 と首をひねっていたら、テキストの別のページにその由来が書いてあった。

 「過去の英国議会で演説者に対して賛意を表するために言われていたHear him, hear him ! の男性代名詞が省かれたもの。現在では、議会以外の場でも、発言や意見に対して『賛成! いいぞ!』といった意味でつかわれます」

 本当かいな?っと、英和辞典を久しぶりに引っ張り出してみたら、大きな辞書にも、その由来こそなかったが、訳語として、「謹聴。賛成。ヒヤヒヤ!」(リーダーズ英和辞典、研究社)とあった。

 訳語を読み進むうち、わが意を得たりの気分になった。私はここ数か月、本欄で民主主義のいう「言論の自由」とは、勝手きままに放言する自由ではなく、他者の発言を許し、「多様な意見、反対の意見に接して、議論することによって、自身の信念をより確かなものにしていく」(ナイジェル・ウォーバートン、『表現の自由入門』邦訳岩波書店)ところに本意があるのだと繰り返し述べてきた。

 「彼の話を聞け、聞こうじゃないか」が「賛成」にまでなるとは、さすがにイギリスは民主主義の発祥地である。英議会に学んで、わが国でも党首討論が始まっている。だが、結局、相手の話など聞かず、単なる言い争いとヤジの応酬に終わっている。「党首討論をやっても意味がない」と評される始末だ。その原因は“Hear、hear”の精神に欠けているからだろう。

 この風潮はわが国だけではなく、トランプ大統領の極論に振り回されるアメリカでも進行しているようだ。NHKの米中間選挙報道で、共和、民主の支持者を一堂に集め、対話の場を作るNGOの活動を紹介していた。それぞれの支持者は他党の支持者と全く接点がなく、その主張を知らないどころが、偏見を持って見ているという。世論の分断現象だ。テレビなどのマスコミも、支持政党があり、支持する立場ばかりを報じているので、本当に他党の主張を知らないのだという。こんなNGOの活動自体、いまのアメリカでは異なる意見に耳を傾けない現象が満ち満ちていることを示している。NHKの報道では、共和党支持者が初めて民主党支持者だけの討論を聞いて、自らのそれまでの民主党支持者に対する見方が偏見であり、対話のできる相手だと見直すシーンが紹介されていた。

 それにしても、英和辞典の訳語にある「ヒヤヒヤ!」とあるのは何だろう。電子辞書の「明鏡国語辞典」を見てみると、「明治のころ聴衆が謹聴・賛成などの意を表す時に発した語。Hear! Hear! から」とある。さらに国語大辞典(学研)には「みんな口々に『ヒヤヒヤ』とか『イエスイエス』とか喚き立てては」(広津和郎『神経病時代』)と、「ヒヤヒヤ」を使った例文まで納めてある。明治、大正時代には、日本でも原語がそのまま使われていたということだ。

 当時も、段々半ばヤジのように使われるようになっていたようだが、他人の主張に耳を傾ける「ヒヤヒヤ」の精神を、日本の政治に取り戻してもらいたいものだ。与野党の対立の激しさは、いつの世も同様だが、「自民―社会」の二大政党時代は、それなりに与野党間の舞台裏での対話があったような気がする。


高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。