論 考

責任感という言葉

 「チャイナ・デイリー」が、米国の「デモイン・レジスター」などに掲載した農業問題の意見広告にトランプ氏が噛みついた。「プロパガンダ広告」で、「中間選挙」への介入だと指弾した。

 もちろん、中国側は米国で当たり前の意見広告を、料金を支払って掲載してもらったのだから瑕疵はないと全面反論している。

 中国の反論は間違っていないが、トランプ氏がどう考えるかはトランプの勝手であるから、決着するような問題ではない。

 米国の対中国貿易の姿勢が今後どのように展開するかわからない。

 トランプ氏が1人で暴走するという見方が一般的だが、中国に関しては、ナバロ大統領補佐官、ライトハイザーUSTR代表、ボルトン大統領補佐官などの対中強硬派が周辺を固めており、ひょっとすると本格的な米中冷戦に突っ込むのではないかという見方が浮上している。

 とにかく既存秩序を破壊するのは簡単である。責任感をもつ人は、こうしたいという思いがあっても、破壊の副作用の危険性を考えるから慎重になる。

 責任感が希薄な人は慎重を欠く。

 E・H・カー(1892~1982)が、「国際政治において世論は無力である」と書いたのは第二次世界大戦直前であった。

 政治家が責任感を確立しているのは政治の基盤だが、昨今の内外政治家においては、むしろ「責任感なし」が常態となっているみたいだ。