週刊RO通信

安倍的「安全保障」論の疑問

NO.1223

 わたしは、11.3「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション 国会包囲大行動」に参加した。「戦争をさせない」、「戦争で問題解決を図るような国にしたくない」のが参加者の気持ちだと思った。

 そして、また、参加者の耳には、気にしたくないと思っても、戦争の足音が聞こえているように感じられた。報道によると国会周辺では4万人程度だったらしい。歩道は人波でぎっしり。一汗かいた。

 戦争は、論理的帰結として起こるのではなく、偶発的突発的に起こりやすい。戦争すること自体を目的と考える人は多くはなかろう。まして、自分が戦争の当事者に「されてしまいたい」と希望する人はいないだろう。

 誰が、戦争の意思決定をするのか? トランプ氏は過激かつ品性下劣な言葉で北朝鮮を挑発する。彼が、自分の知性を認めない金正恩氏に憤まんやる方ないとしても、戦争という問題から考えれば矮小な私怨にすぎない。

 それとて、自分が汚い言葉で挑発するからしっぺ返しを食らっているのでもある。この2日、Fox Newsでトランプ氏は、ティラーソン氏を国務長官に留めるかどうかわからないと語った。

 国務省の一部スタッフが、自分の政策を認めないことに対して苛立ちを表明した。一部スタッフの頂点に国務長官がいるわけだ。これは、アメリカ政府の中枢が一枚岩ではないことも示している。しかも戦争を巡って!

 誰が考えても、このような不安定な状態が安心できるわけがない。トランプ氏は5日からアジアを歴訪するわけだが、果たして、彼が訪問した国々の人々に信頼できる大統領だと認められるかどうか。興味深い。

 わが国でも政治家が「国民の安全を保障する」と大言壮語し、それに国民が期待しているという報道もあるが、これ、本当に信用できる言葉であろうか。謙虚といえば傲慢、丁寧といえば粗雑を意味する政治家の言葉である。

 国民が期待しているというのは、正しくは期待せざるをえないというだけであって、この人なら生命財産を託すにふさわしいなどと考えているのであれば、よほど浮世離れしている。仮に自民党支持者であっても。

 北朝鮮を屈服させるために、いまは「経済制裁しかない」としているが、本来、その意義は、当面武力以外の方法によって、北朝鮮の恫喝外交には妥協しないという最大限の意思表示である。

 それと同時に――戦争というものが偶発的突発的に起こる――という危険性を重々認識して、偶発的突発的に戦争が発生しないように統御するという万全の構えが不可欠である。

 だから、言葉が大切になる。トランプ氏の挑発的言辞は、単に品性下劣で乱暴だというだけではなく、北朝鮮に危険なメッセージを送り続けている。むしろ、北朝鮮が目下自制! しているかのようにみえてしまう。

 起こりうる事態、あるいは起こらせてはならない事態を本気で考えているのであれば、トランプ氏の言葉はいかにも矛盾している。ハッタリかませてあくどい商売で成功してきたとしても、ここは剣呑すぎる。

 常識的には、最悪の場合に起こりうる事態について、考えうる問題の完全な列挙をして、それに対して広範にして精緻な検討を加えるのが当然の仕事である。報道をみる限り、トランプ氏がその指揮をとっていない。

 つまり、アメリカにおいては、国務省・国防省が最悪の事態を避けるべく賢明な努力をしており、自称知性ある大統領に掣肘を加えているというのが目下の構図である。戦争は理性によって統御されるだろうか?

 核兵器が登場したことによって、万一、核兵器が使用されるならば、その理性が確固として維持されるかどうか、保証の限りではない。どんな状況になっても合理性を失わない戦争統御の理論が確立しているとは考えにくい。

 そもそも北朝鮮の恫喝外交を許容せずとしつつ、こちらも恫喝で相手が怯むのを期待するというのは思考的矛盾である。なおかつ、皮肉にも核兵器は絶対的軍事力格差の意義を薄めてしまっている。

 「日米同盟の結束を強化」するとして、首脳同士がべったりお付き合いしていなければならないような事情をみていると、「同盟の質」が劣化しているようにみえる。制裁論が破綻したとき、なにが起こるのだろうか?