週刊RO通信

38度線分断の歴史的報復

NO.1216

 金日成は1932年ごろから関東軍(日本)が幅を効かせる満州で抗日パルチザンに参加し、40年にはソ連の旅団で大尉として活動、45年10月元山港から帰国した。金日成は中ソ「血の盟友」の体現者であった。

 朝鮮は1945年に35年間にわたる日本帝国主義の植民地支配から解放されたにもかかわらず、アメリカとソ連が北緯38度線で南北分断を決めたために、同国人同士が対立する関係に嵌った。

 48年8月15日、李承晩を首班とする大韓民国が成立した。9月9日には金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国が成立した。南北分断国家である。50年6月25日から53年7月27日まで朝鮮戦争である。

 朝鮮戦争は、李承晩が国内の支持を失い墓穴を掘りつつある機に乗じて、金日成が一挙南北統一を図って起こしたのである。アメリカが参戦しないと読み誤った。南北一進一退で朝鮮全土を戦争の泥沼に落とし込んだ。

 戦闘は53年7月27日に終わった。ただし、休戦(armistice)協定であって、いまだ朝鮮戦争は完全に終わっていないのである。朝鮮の人々は植民地時代を含め100年間以上にわたって不条理な時代を生きてきた。

 56年から中ソ対立が開始した。北朝鮮は、中ソいずれにも頼られない中途半端な事態に遭遇した。72年には、ニクソン大統領が訪中、いわゆる米中接近時代が開始する。金日成にとっては「まさか!」の驚きだった。

 そこで、いわゆる主体思想を生み出す。思想主体・政治自主・経済自立・国防自衛、自分を守るのは自分だけ。他国に依存していると、いつもあたふたしていなければならないから、主体性を確立しようとした。

 89年、ゴルバチョフ書記長が訪中して中ソ対立に終止符が打たれた。90年には、韓国・ソ連が国交樹立した。北朝鮮の反米・反資本主義、韓国の反中ソ・反共主義の構図が崩れたというべきであった。

 91年、金日成が訪中した際、鄧小平から改革開放を求められる。資金もない、天変地異にも襲われる。直ちに舵取りを変えれば、今度は国内が大混乱する危惧が大きい。戦争するのはたやすいが、国づくりは容易ではない。

 同年、南北朝鮮が国連同時加盟を果たす。北朝鮮は経済力で韓国に大きく水を開けられていた。92年中国・韓国が国交正常化をする。中朝「血の盟友」どころか、ひたひたと孤立感が深まったに違いない。

 金日成は94年7月8日に死去した。96年、韓国は大念願のOECD加盟。南北経済力格差は決定的である。金正日は大粛清をやり、先軍政治を掲げた。頼れるものは軍事力、核開発・ミサイル開発という構図である。

 00年には、歴史的な金大中・金正日会談があった。01年9.11後、アメリカに「悪の枢軸国」と敵視された。03年から「6か国協議」が開催され08年には、アメリカが北朝鮮を「テロ支援国家指定解除」した。

 10年、世界経済第2位となった中国を金正日が訪問して、温家宝首相に経済大規模支援を依頼した。その後2度訪中、さらに訪ロもしてメドベージェフ大統領とも会談する。しかし、期待する支援が得られなかった。

 金正日は11年12月に死去した。金正恩も経済再生が不可欠だという認識は強いであろう。その展望が開けば軍事面でも譲歩すると思われる。軍事強国になっても経済再建の目途が立たず、先行きは極めて暗いからだ。

 北朝鮮は、アメリカが軍事的・経済的敵視政策を中止し、平和条約を締結し、友好関係を樹立することを求めている。このままではヤケクソの暴発しかないことも十分に認識しているはずだ。博打に目がくらんでいなければ。

 アメリカには米朝関係の本格的改善を望まない向きがある。敵対関係継続が、とりわけ米軍の展開に好都合だ。日韓との同盟関係が低下すれば米軍基地の縮小や日韓による米軍経費負担が減る。巨額の武器商売上も困る。

 悪役の北朝鮮が適度の挑発をやるのは好都合だったが、役者が脚本にないアドリブを連発し過ぎる。挑発と恫喝の行方はカタストロフィである。挑発を制裁しても問題解決にならない。それは過去の行為への罰である。

 米朝双方がこれからどうするかについて「提案」を用意せねばならない。メルケル首相が「求められれば喜んで仲介の努力をする」と語った。まず、米朝双方が「仲介」を求めることで一致するべきだ。他には妙策はない。