論 考

米欧はウクライナを救え

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 ローマ教皇が2月収録のインタビューで、ウクライナ戦争について語った内容が報道された。

 教皇「もっとも強いものは、状況を見て、国民のことを考え、白旗を上げる勇気をもっているものだ」。これは、交渉によって戦闘を止めよう、つまり和平交渉をしようという。(インタビュアーが、和解を、白旗を振ると表現したのを受けた回答だという)

 この発言は、ウクライナとロシア双方に充てたというよりも、やはり、ウクライナに呼びかけたのであろう。

 ウクライナはさっそく反発した。NATOのストルテンペルグ事務総長も、「交渉には戦場の強さが反映される」と反論したかに見える。ロシア優位の膠着状態において、ウクライナが和解を呼びかけるのは、降参の白旗になるという解釈である。

 その直後、3月8日に訪米してトランプと会見したハンガリーのオルパンが、「(トランプが再選すれば)ウクライナにおカネを出さないから戦争は終わる」と語った。

 事実、いま共和党が反対してウクライナ支援が遅れている。欧州だけでウクライナを支える力がない。ウクライナは支援なしの自力で戦えない。

 ロシアの砲弾生産が年間300万発ペースになるが、欧州は100万発程度だともいう。

 ところで、米国も欧州もウクライナを軍事的に支えるというが、双方、プーチンを本格的に追い込みたくはないのが本音である。

 ウクライナは反転攻勢するという。それは、要するにプーチンを追い込むことであろう。プーチンを追い込まず、かつ、反転攻勢を成功させるというのは、芸術的戦略ではあるが、意味不明といわざるを得ない。

 しかも、ストルテンペルグは、ウクライナ支援が永続的な平和解決に至る道だと表現しつつも、NATOはこの戦争の当事者ではないともいう。

 つまり、戦争主体はウクライナにあって、その帰趨はウクライナが決めることだというが、だからといって、武器砲弾の支援が十分なわけではない。

 言葉の上ではウクライナ全面的支援なのだが、内容が伴わないのだから、ウクライナが期待する反転攻勢が実現する見込みは低い。

 このように「意地悪に」みれば、バイデンも欧州も、本音は戦争を止めたいのであるが、なにしろウクライナが主体なのだから、自分たちが介入できないという理屈で責任を回避している。

 トランプ発言がオルパンの語った通りであれば、いかにも不人情に見えるが、本音段階では、バイデンも欧州も同じレベルに見える。いみじくもトランプが代弁してくれた次第である。

 そのように考えると、ローマ教皇の発言は、まさにウクライナの指導部に対して呼びかけたもので、トランプ的露骨な表現ではないが、おそらく狡知な政治家らの動きからして、やむに已まれぬ思いで発信したのではなかろうか。

 民主主義を守るために戦って死ぬのは英雄ではあろうが、死んだとて守られない。大丈夫はむしろ玉砕すべきも、瓦全するあたわず。すなわち、玉が砕けるかのように名誉や忠義を重んじて潔く死ぬというが、これでは匹夫の勇と変わらない。

 ウクライナ優勢で和解交渉に入る時期がくるかどうか疑問だ。米欧は、この際、全力でロシアの説得に当たるべきだ。戦争の当事者でなくても、ウクライナ戦争を引き起こした片側の当事者=責任者なのだから。