論 考

行き着く先の港を決めて帆を上げよ その構想について

筆者 新妻健治(にいづま・けんじ)

――航海に臨み、「行き着く先の港」を定めなければ、どの航路を選択するのか、また、赴くままの風に、どの向きに帆を揚げれば、それを捉え、その航路を辿り、船を進めることができるのか、これを明らかにはできない。

 社会変革の主体としての労働組合その運動は、その座標として、「正しい現状認識」という「起点」、「行き着く先の港」としての「終点」を定め、その航路を、運動として明らかにしなければならない。

「ゴールはなんや?」

 労組役員時代、私は組織を牽引する立場にあった。その立場から、働く仲間に働きかけたことは、「働きがい」を高め、雇用の確保、労働条件の維持向上を現実のものとする運動だ。そのために、現状の働き方を変え、自分たちの職場を、自分たちの手で、ともに持続可能なものにしよう。

 その実践に向け、労働組合の存在意義とその在り方を根本に置き、経営論を組み込み、仲間の参画を力にする運動論のもと、プログラムを立案して実践に供した。その取り組みが、一定の広がりからの停滞を迎えた時、次の段階に向けてどうするかの悩みに至る。私は、悩みを自分に留めておけず、ある人に相談した。

 その人曰く、

 「君なぁ、君のゴールはなんや?」

 即座に、答えられなかった。現状を変えたい思いは募のるも、どこに至ることをもって良とするかは漠とし、それを形にしてはいなかった。

「働き方」の構造化

 経営の現実は、機械がもたらすのではない。企業に帰属する人びとが働くことで、それはもたらされる。であるならば、どのように働くことで、「働きがい」を感じ、自分たちの職場(企業)を持続可能なものにできるのか、そして、結果として労働組合の基本機能である雇用の確保と、労働条件の維持向上を現実にできるのか。

 私は、この当面の行き着く先を具体化しなければ、取り組み課題は正しく導かれないし、実施・検証・改善の階段も踏み上がれないと考えた。だから、求めるべき「働き方」を構造化し、形にした。

 それは、その根本に働く人の自立・主体という信念(おもい)の発露と、企業理念(社会から必要とされ続けられる存在価値)をつなぐ縦軸を基本構造とし、それを個人と組織の領域に分けた。その縦軸を「信念、意志、技術」の三層で構成し、交差させた。そこから、8つの課題と6つの課題解決の方向性が明らかにできた。それらを現状と照らし、その過不足・軽重と相互関係を整理し、活動を体系化した。

取り組みからの気づき

 この一連のことから、私は2つの示唆を得た。1つ目は、当然だが、抽象的な理念だけでは、具体的前進を正しくもたらすことはできない。ゆえに、当面の行き着く先を具体的に見極めなければならない。

 2つ目に、理念の具体化という問題だ。より抽象的な理念は、そこに至ることはあり得ないと、意識から切り離されてしまう。その結果、なぜ何のために行うかが埒外とされ、具体的な取り組みが目的化し、理念は形骸化する。しかし、この抽象的理念から導き出す行き着く先を具体化し、実施・検証・改善を反復する基盤を構築していければ、それが真理と言い切れずとも、その取り組みは、理念実現に向けた視角に収めることができる。だが、具体化には、知的技術を要する。

 労働組合は、過去来の雛形的・典型的な方針設定と組織運営の反復に甘んじている。それでは存在意義はない。ゆえに、掲げた理念や綱領を現実ものにするため、ビジョン・目標・戦略を定め、組合員を運動の当事者とすべく、本気で組織開発と組織マネジメントに当たらなければならない。

 私は、これらのことをアナロジーとして、「行き着く策の港を決めて帆を上げよ!」と、仲間に訴えた。

労働組合運動の座標とその創造

 労働組合の存在目的は、一般論として、労働者の社会的・経済的地位の向上だが、それは機能的一面に過ぎない。日本最大の大衆組織である労働組合は、その社会的責任として、混迷を深める現代社会の変革の主体であることが求められる。そこで、何をもって社会変革とし、どのような社会を「行き着く先の港」(終点)とすべきなのか、そのために、今どこにいて(起点)、当面はどこに至るか(理念・ビジョン・目標)を構想し、戦略を踏まえた運動(座標としての起点と終点を結ぶ)を創造しなければならない。

 時代は、近代文明の大きな転回期ないしは転換期にあると、数多くの識者が提起する。組織の(国家であっても)行き着く先を政策次元のことに留めれば、現代社会の問題の本質的解決には至らない。

次代社会の構想に向けて

 次代社会の構想を論じるには、私は力不足を否めない。しかし、自分がやると決めれば、前に進むだけだ。とりわけ、自分自身がそれを表現することを大事にしたい。それがあれば、更なる高みへの入り口が、多様に拓けていくからだ。

 労働組合が立ち向かうべき本質的課題は、近代文明とそれを支えた資本主義の超克にあるとしたい。

 広井良典*1は、現代を人類史上の「第三の定常化」と位置付けた。そのうえで、次代を経済成長することを目的としない「定常型社会」とした。そして、ポスト資本主義に向けた「創造的福祉社会」の実現と、「地球倫理」という次代に向かう思想を提起した。

 中沢新一*2は、東日本大震災と福島第一原発の事故を「文明の災禍」と規定した。そして、次代に向けた文明論的な「新たな知の形態」の必要性を解いた。それを、「エネルロゴジー=エネルギー存在論」とし、これを根本に置いた社会・経済システムの構想の必要性を提起した。

人類が生存する生態圏は、太陽からのエネルギーを「純粋贈与」(見返りを求めない)として受け、それを「変換・媒介」することで形成されている。人類社会はその糧を受け、同型に「変換・媒介」を原理として生態圏に存在する。次代社会はこの生態圏のエネルロゴジーである「贈与」を原理に「変換・媒介」の構造をもって構想される。

それは、資本主義に人間社会とのインターフェイス構造(変換・媒介)を持ち込む変革をなし、その動力を自然エネルギーとして、従来の経済計算や計量的発想からではなく、エネルロゴジーの観点から、この社会・経済ステムに深く組み込むのだとする。

しかし、いずれの論も資本主義は温存される。

 水野和夫*3は、資本主義の終焉と歴史の危機を説く。有史上、最低となる先進国の超低金利は、資本の過剰・飽和を意味する。つまり、資本が増殖運動を持続するための空間も資源も限界に至り、資本主義が終焉に向かう。にもかかわらず、これ以上の経済成長を求めれば、社会には御しがたい深い溝(経済格差による分断)ができる。それは、「歴史の危機」だと水野は言う。よって、歴史的に人類の「救済」のために蒐集を許され、蓄積された資本を使って、この危機を回避する具体案を提起した。

 次代の経済・社会システムについての具体的言及はないが、この世界を救済する次の文明の中心概念は、「根源美の追求=芸術」にあり、芸術により人間の五感を蘇らせ、人間としての生き方を覚醒させるとも主張する。

 見田宗介*4は、現代社会が、人間の歴史の中の大きな曲がり角にあるとした。それは、人類史上、急速に発達した貨幣経済と都市社会により、人間が共同体から外部世界に投げ出された「無限性」の時代に生きる生き方と方法論を、合理化された哲学と普遍宗教に求めた「(枢)軸の時代」に匹敵するという。

 この貨幣と都市の原理が全域に浸透したのが近代であり、近代の発展は、「無限性」により、資源枯渇と環境破壊という「有限性」に直面している。だから現代は、新しい思想とシステムを求めている。

 見田は、次代社会へ向けての課題を、「安定平衡」「交響と互酬」「存在の幸福」にあると提起する。そして、20世紀の社会主義革命の陥穽を指摘し、次代社会を創造する「公準」を提起した。1つに肯定的であること。2つに多様であること。3つに現在を楽しむこと。この3つを統合し、変革の胚芽を創り、その連鎖を促し、速さではなく変革の深さとその真実性を実感し、人間の生を解放する革命をと、提起する。

 柄谷行人*5は、「贈与と返礼」という交換様式を高次元に回復させる交換様式をもって、資本と国家を揚棄すると主張する。その構想は、新たな世界システムとしての「諸国家連邦」から、統整的理念*6としての「世界共和国」を目指す。そしてそれは、諸国家における非資本主義経済圏の持続的な拡大という存在と、その連鎖を伴いながら、漸進的な世界同時革命としてなされるのだという。

 論は数多存在する。どのような社会に生きたいと思うのか、この選択の基盤は民主主義にあり、それを生かすことを忘れてはいけない。

 限られたこれらの論からも、次代社会の構想という意味での過不足、相互関係からの気づきや学び、労働組合における運動資源と社会変革運動を結ぶ可能性等、真摯に学びを続ければ、「行き着く先の港」と「航路」を明らかにすることに近づけるのではなかろうか。だから、私の知的好奇心は止まない。

さいごに

 「行き着く先の港」への意志(石)は、できるだけ遠くへ投げた方がよい。それは、港へ行き着くまでに拾うもの(学ぶことと関わるべき人)が多く、それが信念(おもい)を強固にしてくれるからだ。それは、風を受ける帆であり、長い航海を乗り切る力になる。

<参考文献>

*1 「ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来」、広井良典、2015年、岩波書店

*2 「日本の大転換」中沢新一、2011年、集英社新書

*3 「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫、2014年、集英社新書

*4 「現代社会はどこへ向かうのかー高原の見晴らしを切り開くこと」見田宗介、2018年、岩波新書

*5 「世界史の構造」柄谷行人、2015年、岩波現代文庫

*6 統整的理念:決して実現はできないが、絶えずそれを目標として、徐々に、それに近づこうとするもの