論 考

自民党パーティ券騒動の本質

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 新聞読者としては、パーティ券騒動で連日、さして中身がない記事が大きなスペースを占めているのは歓迎したくないが、自民党の戦術は、タコつぼに入って嵐が過ぎるのを待つのだから、同じ内容であっても報道して、その性根を叩き直すつもりで読むしかない。

 いま、いちばん悔しい思いをしているのはパーティ券を買ったみなさんだろう。パーティで相互に交流するという名目だが、3千人も4千人も集まる会場で、それが達成できると考えている人は、まず、いない。

 飲食にしてもろくなものがないのだから、やらずぼったくりの見本だ。

 そんなナンセンスなパーティ券を20万円以上も購入する理由は1つである。買わないことによって、嫌われたくないからだ。

 これ、みかじめ料というアウトロー連中の資金集め手段と同じである。

 自民党議員のなかに、パーティ券のノルマが厳しくてたまらんなどと、被害者ヅラする連中がいるが、この手合いはさらに悪質だ。ぼったくる側にいるにもかかわらず、加害者批判から自分だけ身をかわそうという小細工である。

 政治家に2種類ある。政治をするために政治家になるのと、政治によって生活するために政治家になるのであるが、自民党の場合は、政治を食い物にし、ひいては日本を食い物にしている。

 昔、エコノミストとして活躍した高橋亀吉(1891~1977)は、「政党株式会社論」で、政党が政治ではなく、利益をあげる企業と化していると指摘したが、いまは、それを乗り越えてアウトロー化しているというしかない。

 本気で政策勉強に汗をかくならば、やたらおカネを必要としない。必要なのは勉強のための時間である。勉強しない分、無駄遣いばかりする。

 その気質・体質だから、国債がどんなに増えようと、痛くも痒くもないという無責任なのであって、日本はどんどん沈没するのみだ。