論 考

歴史に学ぶ

 著者 小川秀人(おがわ・ひでと) 労働団体役員

 ――個人にとって、価値観は自分自身のアイデンティティ(存在理由)である。明治維新から156年、いまの日本人は、自分自身の価値観を大切にしているだろうか。情報洪水に流されるのではなく、じっくり自分の思考を磨く態度が必要だ。――

軽佻浮薄

 日本人は何故、こうも簡単に何かを信じてしまうのか。新しい価値観が出現するたびに、自分の頭でよく考えずファッション的に飛びついてしまう。深く考えることなく周囲の意見に合わせて行動してしまう。

地に足をつけて

 巷間飛び交うダイバーシティ、LGBTQ、トランスジェンダリズム、SDGS、カーボン・ニュートラル、グリーン・エネルギー、ジェンダー平等、クオータ制等、言葉の背景を含め果たしてどの程度理解されているだろうか。これに意識高い系と言われている人たちが特にハマっているという批判もあるが、もとよりイデオロギー以前の安手な右や左のレッテルの貼り合いは不毛である。

 本来意識が高い人とは、アンテナを高く張ってはいるが偏った情報に右往左往しない、落ち着いた構えで目標に向かって静かに励む人。という肯定的な意味で捉えられるが、意識高い系は、偏った情報で理解したフリをして世の中でポジション取りをする人、自分の行動をSNSで見せびらかす類の、嘲りの対象になっていることにさえ気付かない頭の中がお花畑の人のことである。

 ところがよく見てみると政治家や経営者の、はたまた労働界のリーダーや一部のマスコミの、あたかもそれが絶対的な価値、絶対善であるかのような厚顔無恥なモノ言いに違和感を覚えるだけでなく、聞いているこっちが恥ずかしくなることがある。自らを第三者的立場に置いた上で、評論家的に世間の同調圧力を増幅している。

 よく金科玉条のごとく「これは国際基準ですから!」とか、何の論理もなく短絡的に「国際基準の○○%を目指しましょう!」といった標語や威勢のいい掛け声を見聞きするが、グローバリスムの消化不良を起こしている。これを国際基準全体主義、あるいは国際かぶれとでも言っておこうか。自分たちのことを自分たちで決められない国家、組織は早かれ遅かれ衰退する。このことは謙虚に歴史に学べば自明であろう。

国連批判について考える

 国連至上主義も然り。そもそもUnited Nationsを意図的になのか「国際連合」と誤訳している。第二次世界大戦の戦勝国で、かの東京裁判で日本を裁いた「連合国」が正しい訳である。常任理事国のアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国は国連憲章が改正されない限り恒久的にその地位にあるし、ましてや、主体的外交ができない日本は常任理事国になる資格さえないと思料する。

 通称、旧敵国条項=【国連憲章第17章安全保障の過渡的規定第107条】を紐解いてみると、”この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。”と記されている。つまり、敵国であった日本には何をしても国連憲章に違反しない、ということである。もっとも、この旧敵国条項は1995年の国連総会で無効決議がなされており、事実上死文化しているが。

 国連批判は的を射ているだろうか。過去来、数多の国際紛争を国連主導で解決したことがあったか。南北朝鮮は協定による未だ休戦状態で戦争は終結しておらず、第一次~四次中東戦争から直近のロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス問題など、国際機関としてこれらの解決になにか寄与しているだろうか、などの疑問である。

 ところで、アメリカ第一主義、西部開拓史以来の砲艦外交を抜きには語れないのも事実。普遍的原則を振り回すアメリカを、途上国の多くが信用していないのは、彼らはよく分かっているからである。アメリカが国連の頭を押さえ、中国・ロシアが足を引っ張る構図は明快。国連という肩書だけで卓越した指導力を発揮できるわけがない。そのアメリカのお先棒を担いでいるのが日本で、みかじめ料も半端ない。日本の国連批判は天に唾棄する典型とも言える。

敗戦当時を想像する

 我が国は、1945年8月15 日の終戦を境にそれまでの価値観が大きく変わってしまった。GHQ の占領政策によって、絶対天皇制が象徴天皇制になり、軍国主義が民主主義になり、国家権力の監視と弾圧の対象であった労働組合の結成が促進された。

 良くも悪くも昨日まで信じていた絶対的な価値が瓦解し、よく分からないまま「民主主義っぽい」政治手法を絶対的なものとして信じてしまった。

 当時、軍国少年であった思想家「吉本隆明」は著書の中で、「戦前自分が信じていた絶対的価値、戦争を肯定し死ぬことも覚悟していたにもかかわらず、確信を持って信じていた死生観は敗戦とともに全否定されてしまった。その死生観は“共同幻想”に過ぎない」と記している。

 この共同幻想を現代に当てはめるなら「情報社会」や「SNS」だろうか。まずはこれにどう向き合うかを自らに問い続けなければ、よく分からないまま次々登場する言葉に右往左往させられてしまう。

 戦前から戦中、戦後をリアルに生き抜いた世代の呟きを想像すると(筆者の父は昭和ひと桁、いずれ赤紙が届いて戦場で死ぬことが当然の軍国少年でした)、戦前の死生観は共同幻想というより追い込まれた個人幻想かもしれない。死生観まで共同したかったのではない。潔く桜のごとく散る、自分の命など神になることを思えば怖いものなしなどという荒唐無稽な論理に酔ったのではなく、それしか選択肢がなかった。

 平和主義も、敗戦当時は圧倒的に厭戦気分が支配していたと想像すれば戦火から解放された喜びであり、民主主義は理不尽な権力が排除された安心感ではないだろうか。もって直面する生活苦を克服するために、みんなが一生懸命に働いたことで「東洋の奇跡」と言われたその後の高度経済成長の一因にもなった。理論的に理解不十分なことは否定できないとしても、平和・民主主義は現実に裏打ちされた理想として人々の心に明かりを灯したはずである。今を生きる我々は、その有り余る果実を享受している。このことを忘れてはならない。

 一方で、何でもよかった。取り敢えずの、なんだかよく分からない「平和憲法」や「民主主義」という、しがみつく支柱が欲しかっただけではないだろうか――という見方もあろう。いや、それよりも、問題は後世代がその純朴な精神を受け継いでしっかり発展させられなかったことにありはしないか。

永遠の今

 現在とは、過去から永遠の連続性における今である。これからも必ず新しい価値観は出現する。その時に大事なのは、「自分の頭で考えること」「自立すること」「答えを出した後でも本当にそれで良いのかを繰り返し自分に問いかけること」ではないか。そして、その新たな価値観に対して「それはおかしいのではないか」と堂々と反論できる社会、悪魔の代弁的*に堂々と異を唱えられる社会でありたい。

*悪魔の代弁者devil advocate あえて批判、反論する人。さらによい結論を得るために正当な懐疑の表明をする。