月刊ライフビジョン | 論 壇

人々が社会の公正を認識している

奧井禮喜
社会の活力

 人々が社会のあり方について公正感を肯定しているとすれば、その社会は活力があるだろう。自分が社会の一員として社会をつくっているという意識とほぼ重なるからである。そして、自分の生活・行動の自由、安全が保障されていると感じている。もちろん、これは無意識の意識も含む。

 社会から個人が疎外感をもつのは、自分が社会によって掣肘(干渉して自由にさせない)されていると感ずるからである。この場合、個人は、自分が社会をつくっている1人だとは考えず対立的に考える。個人(自分)が集まって社会をつくっているのに、社会が自分の思うようにならない。疎外である。

自由は個人による

 そこで懸案となるのが自由の意義である。法律的解釈の自由ではなく、個人が社会において自由を感ずるか感じないか。いかに法律が個人の自由を保障しようとしても、個人が社会的束縛を強く感じているならば、個人は活力を発揮していないのである。

 自由についての解釈は個人によって異なる。1960年代半ば、職場のお茶くみが女性差別であり、自由を奪うものだとして、若い活動家(主として男性)が行動を起こした。最初、女性たちは格別差別を感じない、むしろお茶くみは仕事の息抜きだと応じた。

 女性の結婚退職制度が、働く自由を奪う。結婚退職金として退職金のプレミアムを付けるのは差別を助長するとして議論を始めたときも、会社でお勤めして、よい伴侶に巡り合い、「ことぶき」退社するのだから結婚退職制度は有益だし、結婚退職金はありがたいという意見が多かった。いまから考えると奇妙に感じるだろうが、社会変化の糸口というものは一筋縄ではいかない。

 個人の自由について、アメリカ独立戦争時、パトリック・ヘンリー(1736~1799)の言葉が有名である。いわく、「われに自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」(Give me liberty, or give me death)。

 のちに立命館大学総長になった末川博(1892~1977)は、この言葉を15歳で知ったが、当時、自由・平等・平和などの言葉は空虚に感じられて、よく理解できなかった。1912年に護憲演説会で官憲がたびたび「弁士中止」を叫ぶのをみて、自由の意義を理解したと述懐した。

 1925年治安維持法に始まり、忠君愛国、国体明徴、大政翼賛などなど、日本はファッショ的恐怖政治が強化され、1938年には国家総動員法、1941年に太平洋戦争が開始すると個人の自由は国家反逆的言葉とされた。まさに恐怖政治、人間性否定が支配した。

 いまは、制度上は国家権力が個人の自由を奪うような事態は一応ない。しかし、かつてのように権力による束縛・支配がなくても個人が自由だとはいえない。かつての自由論は権力からの自由であったが、こんどは、(自分の)〇〇への自由が問われる。すなわち、個人が自由に生き方を追求することなくしては、自分の自由を感得できない。

 自分が追求する自由の中身を持ち合わせなければ、社会関係における自由とはならない。つまり、自分が責任をもってなにかを追求することに対する妨害がなくても、追求するなにかがなければ、実は不自由かもしれない。

 わかりやすくするために、社会=会社(職場)と置いて考えよう。しばしば聞くのは、会議をしてもほとんど発言がない。その本音は、どうせ上の考えがあるのだから、余計なことを発言しないほうがよいということだとする。海外勤務の人が社内会議に出て思うところを述べるが、他には発言がない。終了後、同期の1人がポンと肩を叩いて「ずいぶん気張っとったな」といった。茶化された彼はバカバカしいので反論する気にもならなかった。

 会議は参加者が思うところをそれぞれ発言するからこそ有意義である。このように沈滞した会議になるのは、発言しないほうが上策と考えているからだ。上下左右の忖度(よい意味ではない)がなせる結果である。発言するべく集まっている会議で発言しないのは、そのような組織文化が支配しているからだ。

 この組織文化は、本来は組織メンバー1人ひとりが作り出したのだが、個人にすると、自分が疎外(被害者的気分)されている意識である。これが、社会の公正を肯定していない状態である。うまく動いているように見えても、人々が自由闊達に発言・行動しないのは、個人と組織(社会)が疎外関係にある。これが日本全体の雰囲気ならば、わが社会は活気がないのである。

集団主義はかつての日本と同じ

 前述した組織文化(風土)について、1980年代半ばくらいまではかなり高い関心があった。当時、経営層は口を開けば「活性化」を主張した。ただし、なにごともそうであるが、上意下達では個人が活性化しない。こんなことは、敗戦を体験した人々は上位下位のポストにかぎらず十分に体験したはずである。

 日本の軍隊を体験して、戦後の民主主義において、個人と組織の上等な関係がわかったと思うのが常識だが、どうやら買いかぶりであった。また、民主主義が個人主義に立脚しており、個人の元気が組織・社会の元気の基礎だということも理解できたはずだったが、あとから考えれば、ほとんどわかっていなかったらしい。(もちろん、いまも)

 戦前、忠君愛国の旗を振った知識人! のほとんどが、さすがは知識人であって、民主主義となれば、ただちにデモクラシーフラッグの旗手を演じた。全体主義から個人主義(民主主義)への転向である。しかし、時間がたつにつれて、古きよき時代の意識へと舞い戻った人が多い。

 敗戦というような大変な局面に立ち会っても、本質から思考しない。知識人とは立ち回りの達人みたいである。そのため、民主主義の根幹たる個人主義についての思索は深まらず、集団主義的日本人の民主主義という奇妙奇天烈な状態が現出した。

 ここでいう集団主義は純粋理論ではない。人々の意識状態を、支配階層の都合のよいように組み立てた理屈である。いわく、日本人の出発点は集団であって、個人ではない。つまり、群れる、ムラ意識が日本人だという。そこでは個人は集団に吸収される。個性もまた然り。だから個人を出発点としたコミュニケーション、チームワークが戦後78年になっても身につかない。

 これを存分に発揮し続けているのが自民党である。自民党的集団主義は、かつての国家主義との親和性がきわめて高い。なるほど、徒党を組む力が強ければ、他の徒党や個人の正論をぶっ飛ばすことが可能であろう。その徒党力は煮詰めれば「権力」「金力」であり、直接的利害・損得関係である。これがデモクラシーの仮面をつけているから話がややこしい。

自立人間

 自立人間*という言葉は、三菱電機労使中高年問題研究員会(1979)の議論から生まれた。変化して止まない状況において、逞しく生きていくにはいかなる人間観が必要かを議論した果実である。

  *自立人間 自分の意見・主張をもつ

       自分の発言・行動に責任をもつ

       計画性・自発性・先見性をもつ

       周囲と積極的調和がとれる

 個人の元気は人生における自由の感得=したいことをするとき現れる。自立人間の発見は、当時(いまも)、世間に驚きをもって迎えられた。おおかたの会社の人事部が期待するのは、会社のいうことを素直に聞いて行動する会社人間(集団人間)である。求めるのは協調性であって個性ではないからだ。

 これは自我である。委員会では自我を意識せずに議論したが、結局、このような内容にまとめた。自我は西欧ルネサンス・宗教改革からの哲学的発見である。認識・感情・意志・行為をする主体としての私を、外界の対象や他人と区別していう言葉である。西欧近代社会は自我の発見によって羽ばたいた。

 自我⇒人間の尊厳⇒基本的人権⇒民主主義の流れであり、これが個人主義である。個人主義は個人がすべての核であり、個人が集団や社会をつくるとする。日本人は、ルネサンスも宗教改革も生み出せなかった。自我は輸入ものである。これをしっかり理解し広めなければ、民主主義は根付かない。

日本社会は元気か

 おおかたの日本人は社会の公正を意識していなくても肯定している。だから治安は維持され、安全な日本と称される。しかし、自立人間と集団主義的人間では同じ肯定でも、活力が違う。

 前者であれば、人々は自由を謳歌しているが、後者は集団的協調が柱であるから、前述したように、組織・社会文化に不満があっても従順に付き合うだけである。表面的には同じでも、自由を謳歌する人々のような活力は出ない。それがこんにちの会社社会ではきわめて明確である。

 1960年の安保・三井争議は、のちのち日本社会(労使関係)に適度の緊張感を与えた。対立する意見を足して2で割るのではなく、いわば正反合的に止揚させる。議論をかみ合わせることの大切さを痛感した。1970年代の石油ショック・公害対応もまた労使間に知的倫理的緊張をもたらした。

 しかし、1980年代のバブルで好ましい緊張感が破れ、社会・労使ともに弛緩した。1990年代のバブル崩壊によって、弛緩から緊張へ立ち戻ったかに見えたが、たとえば(失敗した)成果主義のごとく、個人競争を煽ることへ逃げ込み、チーム力発揮の気風を消してしまった。

 人間は習慣の生き物だから、公正さが悪化してもいつの間にか状況に慣れてしまう。2000年代からは新自由主義(古典的自由放任)への傾向が強まり、しっかりした理論的・組織的核をもたない圧倒的多数の人々は、いつの間にか巨大な差別社会に放り込まれてしまった。

 自分が中流(並み)だと思う人が、その位置から脱落しないように最大の個人的努力をするのが新自由主義である。しかし、働く人の40%が非正規だというような社会で、社会(組織)のための存在であろうとする人は多くない。かくして、人々が公正を感じず、自分の世界に没入するような日本社会は元気がないといわねばならない。

 1人ひとりが集まって社会をつくっている。社会の元気は、各人が自由をいかに取り扱うか! その総和として社会の元気が左右される。


 奥井禮喜 On Line Journalライフビジョン発行人/有限会社ライフビジョン代表/経営労働評論家/週刊RO通信発行人/ライフビジョン学会理事/ユニオンアカデミー事務局