この10年くらい、大学生が自分の意見を言わないし、反論を嫌がるという大学教授のコメントを見た。
ものごとは、なんとなく空気で決まるとも指摘する。
やはりなあとも思うが、これは遠く封建時代から同じ気風であるから、非常に情けない。理論を学んでいる人たちが、人間関係となると堂々意見を述べないというのであれば、産業だろうが社会だろうが、元気が出るわけがない。
果たしてこれを日本人的気質と解してよろしいのだろうか。
先日、オープンAIのサム・アルトマン氏が岸田氏と面会した。仕掛けたのはAI推進に躍起な自民党議員グループらしい。それだけではなく、アルトマン氏としては、自分の意見をいわない日本人こそ、AIチャットの最大顧客にふさわしいと考えたのかもしれない。
いまも政治はアンケート民主主義だ。たかが3千人くらいの意識調査が発表されると、それが良識メジャーだと思い違いする傾向が強い。
ものごとは正解がないほうが圧倒的だ。しかも世界はつねに変化して留まらない。だから、自分のオツムで考えて意見交換する楽しさがある。
しかし、なんとなく空気で決まるという状態を是とするなら、人間がいるのに、いないという奇妙な社会になって、人々はますますフラストレーションの塊になるだろう。
空気が意思決定する気風だから、日本では民主主義が育ちにくいのではないか。うーむ。